人生の余り道 (歩くを楽しむ)

結願して

結願して感じたこと

心の変化(素直な気持ち)

お遍路を始めるまでは、絶対に歩ききるぞ、といったように自分が主語になって「お遍路する」との考え方であったが、お 遍路沿いの多くの皆さんの永年に渡る努力のおかげで遍路みちが維持されていることを知って、「お遍路をさせていただく」といった 気持ちに変わっていった。背中に背負えるだけの道具と自分の足で動けるだけの範囲で生活していると、余計なこだわりがだんだん 薄くなって素直な自分に戻っていくような気がする。


1日のほとんどは、山や川、草や小動物などの自然と向き合っており、自分自身が自然に溶け込んでいるような感覚になる。 自然の中の小さな生き物にとても優しくなり、愛着を感じるようになる。あの嫌な蚊でも叩かずに追い払うようになるし、地面の小 さな生き物は踏まぬよう避けて通る。あの時の傷ついた蛇のじっとこちらを見る目が未だに脳裏を離れない。


道行く人に素直な気持ちで笑顔の挨拶をするし、何故か分からないがお経をあげているときに涙ぐむこともある。これが何 時まで続くかは分からないが、少なくとも歩いている間は全てに対して素直な気持ちになっている。もしかしたら、琴平駅で会った 庵主さんの言われる御利益とはこのことかもしれない。

お接待

四国の方から金銭、食べ物、小物、一晩の宿、更には道案内や優しい声掛けなどたくさんのお接待を頂いた。こうしたお接 待でどれほど元気つけられたことか。それは昔のお遍路でも変わらない。いや厳しかった昔のほうがこのお接待はより重要だったは ずだ。お遍路みちでの最高の出会いはお接待での出会いだ。そこにはお互いに何のわだかまりも損得もない、自然な心の交流がある。 昔から負の遺産を背負って回ることの多いお遍路が成り立ったのもお接待のおかげであり、、お接待はお遍路文化の最高の宝物だと 思う。


お接待は、本来は宗教上の意味合いがあったという。同行二人のお遍路に、お接待をする人はお大師様の姿を見、お遍路自 身もお接待がお大師様に向けられていることを意識しつつ、素直な気持ちで受け入れている。 現在ではそれ以上に、一心に歩 いているものへの励ましがあると思う。車遍路が常態になってしまった現代では、お遍路沿いの人々がお遍路の姿を見ることが少な くなってしまった。そのような時代の流れのなかで、自分の足で歩くという、人間としては最も基本的ではあるけど非現実的な移動 手段をとるものへの無私の応援があるのだろう。見ず知らずの自分に対して、なぜこれほどまでによくしてくれるのか。日常の暮ら しでは消えてしまった光景が、四国にはまだ生きているその驚きが、やがて「お遍路をさせていただく」感謝へと変わっていく。


一方で、四国の人はお遍路をしないといわれた。何故か。その理由は、より身近にあってお遍路の実態をよく知っていたから であろう。だからお遍路の主役になるよりも、他国から来るお遍路を支援する立場で十分だと考えたのだろう。病気平癒を祈願して 自らお遍路に出る人ばかりではない。家族に迷惑をかけたくないといって自ら家を 出た人もいたであろう。罪を犯して家を出ざるを得ない人も、更には死期を悟って自ら出た人もあるという。昔のお遍路は『姥捨て 山』の意味も持っていたそうで、だから四国の人はお遍路をしないと話す人もいる。お地蔵様は部落と部落の境界付近に置かれてい る。お遍路が行き倒れた時の世話の責任範囲を示すためなのだ。そしてお接待は、そのお遍路に生きて早く部落を出て欲しいから提 供したのだと、何人かの四国の人から聞かされた。


家族に迷惑をかけたくない、家族と不仲だからといった理由で家に帰らないお遍路に、このお遍路 の少ない時期でも 実際に何人にも行き逢った。最近報道されている行方不明の高齢者に関しても、同じような事情の人も含まれているのであろう。美 しいだけのお遍路ではないことを知った。そして、それら全てを包み込んでお遍路を成り立たせているのがお接待だと思う。

古き良き日本とお遍路

四国に次々と連絡橋が建設されるのを知って、四国の人には申し訳ないが便利な四国にはならずに昔のままの四国でいて欲し いと思うこともあった。マスコミと交通の発達で日本がどんどん変わってしまい、画一化されていく。だから四国の中に古き良き日本を見 るには急がなければならないとも思った。そして39日間という短い短い期間ではあったが、若い頃から行きたいと思っていたお遍 路を実現して、古くて優しい日本が残っていることを知ってとても嬉しかった。


都会では見ず知らずの人を家に泊め、あるいは誰でも泊まってよいように施設を準備していることはないし、近くに見知ら ぬ人が寝ていれば警察に通報されてしまうだろう。今の世の中ではそれが当然である。しかし、四国ではそれが許されている。お遍 路と分かれば暖かい目で見守り、事故がないように見回りもしてくれる。狭い四国だけど包み込む広さが残っている。どこの人でも どんな国籍でも受け入れて何の違和感も感じさせない。そうしたお遍路文化は未来永劫に伝えて欲しい。


お遍路は88箇所の点とそれを結ぶ遍路道から成り立っており、お遍路文化が継承されていく。歩き遍路の立場で言うと、 点である札所の変質は想像以上だった。行き逢った歩き遍路のほとんどが札所の実情には落胆しているし、四国の人も身近にそれを 知っており、お遍路をしない理由の1つになっているようにも感じた。札所の関心事はお遍路という文化ではなく、商売になってし まっている。納経所では毎日おびただしい数のお遍路を迎えて、納経がルーティーン化してしまい対応がとてもぞんざいになってお り、挨拶も返さない、相手の目も見ない、そんな札所が多いのはとても残念だ。

健康上の効果

体重の変化

 

出 発 時:72.0kg

帰宅当日:69.0kg

3日後:67kg

5日後:66kg


帰宅当日は−3kgでたいした減量効果はないように感じたが、体全体が浮腫んでいるような状態になっており、1日ごとに浮腫み がとれ体重も減ってきた。5日目以降は概ね66〜67kgを維持しているので、結局、約6kgの減量効果になる。半年後の現在 も、運動療法と食生活に注意しているのでほぼ同じ体重を維持しているが、足の浮腫みはとれていない。

体脂肪率

出 発 時:約20%

帰宅当日:5.9%

1週間後:9.0%

3週間後:15.0%


帰宅当日の体脂肪率の低さには驚いた。恐らく水ぶくれ状態になっていたのだろう。体重が減るにつれて体脂肪率も上がってきた が、3週間後以降は15〜17%ぐらいを維持していた。半年後の現在では19%前後になっておりお遍路前の状態に戻っている。 食事は概ね糖尿病食を摂っているが、運動量が激減していることが影響していると思う。

糖尿病の状況

血糖値(HbA1c)

出 発 時:7.0

帰宅直後:5.9

3ヵ月後:6.0

6ヵ月後:6.5


糖尿病と診断されて20年以上もの間、運動療法、食事療法に加えて薬を飲んでいたが、あまり改善されていなかったので最近の7 年間はインスリンを1日に4回も射っていた。お遍路後はHbA1cが劇的に改善されたので、医師の指示でインスリン注射を止めて錠 剤のみになっている。半年後の現在もHbA1cに大きな変化はない。インスリンは一生打ち続けなければならないと覚悟していたもの が、予想外の驚きのお遍路効果になった。

その他の指標

中性脂肪(参考値:30〜150)

以前は概ね200前後のことが多く、高いときには295もあったが、お遍路後の6ヶ月では平均して103となっており、参考値 の範囲に入っている。その後の生活習慣とあいまってお遍路効果が持続していると言える。

尿酸値(参考値:3.7〜7.0)

7.0を超える数値が数ヶ月続いた後の10年4月に9.7に上昇したため、ウラリット錠とザイロック錠を飲んでいた。お遍路後 は数値が下がってきたのでザイロック錠のみになったが、6ヶ月間の数値は5.7〜6.7の範囲で維持されている。その後も6.0前後の値が続いたので11年 9月からザイロック錠も止めている。

 
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