人生の余り道 (歩くを楽しむ)

愛媛県

概要

期間7月10日(土)〜7月20日(火)11日間
距離414キロ1日平均37.7キロ
状況
  • 前半は曇と雨が続いたが、7月17日を境に真夏の空になり、舗装路上ではこれまでとは段違いの暑さになった。
  • 専用の歩道がよく整備されており、幸い体も異常がないため、快調にお遍路が出来た。後半は都会的な雰囲気が強くなってきたので、 慎重を期して野宿を控えるようにした。

県内リンク

23日目

24日目

25日目

26日目

27日目

28日目

29日目

30日目

31日目

32日目

33日目



 

7月10日(土)  23日目

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嵐坂の歩行者用のトンネル(奥)

晴れ。6時40分、須ノ川を出て1時間半、愛媛県との境の嵐坂に差し掛かると車両用のトンネルに並行して徒歩・自転車専用のト ンネルが設けられている。写真では右奥に暗く見えるトンネルがそれで、旧道を改修して平成16年に開通した。トンネルの壁面に は児童の絵が掲示されて児童美術館の趣もあり、気持ちが和む。


愛媛県に入ってからは明らかに道路の様子が変わっている。旧道では追加工事で歩道部分を拡幅したり、新道では車道と歩道が同じ 幅で作られているところもある。また、歩道が左右に変わる場所では、前もって『この先歩道がなくなるので、反対側に渡ってくだ さい』との標識があり、車道にも白ペンキで歩道の表記があるのでとても助かる。これまでは、いつの間にか歩道がなくなり、いざ 渡ろうとすると反対側にはガードレールが造られているので、重い荷物を背負っていては渡ることができない。道路行政に関する高 知県との差異を痛感した。


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きれいな側溝で泳ぐ鯉

穏やかな天気、心地よい風が吹き渡るなか快調に進む。道路わきの小川には鯉が泳ぎ水鳥が餌をついばんでいる。また亀が日向ぼっ こしている姿も見える。その上をトンボが飛び交い、鬼ヤンマも悠然と飛んでいる。関東ではほとんど見なくなってしまったが、鬼 ヤンマを見たのは何年ぶりだろう。『トンボの王様』といった風で悠然と浮かぶ姿を久し振りに見ることができてなぜか嬉しかった 。黒アゲハ蝶もたくさん目にした。

   

稲ゆたか 棚田をよぎる 風遍路  (自作)


蛇もいた。遍路道で日向ぼっこでもしていたのか、足音に驚いてスッと藪の中に入り込んだ。この時期はマムシの活動期に入るので 注意が必要だ。現に神峰寺でお遍路が咬まれた例があるように、山道のそこここには『マムシに注意』の立て札が立てられている。 山道では金剛杖を強く突きながら歩いて振動と音で蛇を追い払うとともに、暑くても用心のため長ズボンをはくようにしている。


このお遍路の間に7〜8匹の蛇に遭遇した。色と体型からマムシではなかった。ほとんどは足音を察知して草むらに逃げ込んでしま うが、悠然と遍路道を横切っていくヤツもいる。


中でも圧巻は蛇と鯉の格闘だった。正確には格闘の前哨戦であったが。ある時、綺麗な掘割を見ながら 歩いていると、鯉が上流を向 いて水中の鯉のぼりのように悠然と泳いでいる。そこへ流れに乗るように斜めに下ってきた長さ1mぐらいの蛇が、鯉の1mぐらい前 を横切ろうとした。お互いの存在に気づいた両者は暫し睨み合った後、突然鯉が、水面付近の餌を吸い込むときによくするように、 ガッと口を開けて大きな音を立てて威嚇した。驚いた(ように見えた)蛇は、反転し上流に泳ぎ去ってしまった。格闘場面を見たか ったが、自然界ではこれが当たり前で、無駄な争いはしないのだろう。


インターネットでは酸欠地獄と表現されている松尾トンネルに差し掛かる。今日は時間的に余裕があるので昔の遍路道を通って峠越 えをする。標高差は190m、樹木に覆われた日陰の遍路道は気持ちがよい。坂もそれほど急ではなく、峠に至ると遍路小屋があっ たのでしばらく休憩する。小屋の脇には井戸も掘られており、飲用には適さないが体を拭くには役に立つ。


宇和島市内に入ってすぐのスーパーで、客のご婦人から、「冷たいものでも飲んで」とお接待を受ける。時間はまだ3時半、できれば 宇和島城に登りたいので城近くのビジネスホテル「鶴島」に予約を入れる。着いてみるとホテルは古く汚れている。特にエアコンの カビ臭がひどく閉口した。予約の時に確認した際にはコインランドリーがあるとの返事だったが、実際にはなく、15分ぐらい離れた 場所だと言う。コインランドリーに行ったら城に登る時間がなくなるので、やむを得ず500円で洗濯を依頼する。


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市街地に屹立する宇和島城

宇和島は『伊達十万石の城下町』として栄え、その中心となった宇和島城は往時の面影を色濃く残す名城だといわれている。天守閣 は標高150mの小高い山の上に築かれ、自然石、ゴロ石の石段が当時のまま残っており、還暦を過ぎた疲労気味の体には結構厳し い。


こんな石段を上り下りしていた昔の武士はすごかったなぁー、などと考えながら喘ぎ喘ぎ登っていると、運動服姿の高校生が次から 次へと駆け足で登り、天守閣の門にタッチしてまた下りていく。ある生徒に何回登るのと聞くと、10回との答えが返ってきた。え ェー10回も! 先ほどまでは昔の武士はすごいと考えていたが、今の若者もすごい。いや、そうではなくて昔も今も若い人にとっ てはそれほど大変なことではなくて、つまり、自分が年をとって衰えたのだろうとつくづく感じた。


城のすぐ近くに宇和島東高校がある。もし駆け足していたのが宇和島東高の野球部員だったとしたら、帰宅して記録をまとめている 今行われている夏の甲子園大会に出場している若者たちだったのかもしれない。頑張れ宇和島東高!! (残念なことに、初戦で群 馬県の前橋商業に敗退した。)


折角四国に来たからには、さぬきうどん、鯛めし、それと鰹のたたきを食べたいと思っていた。すでに民宿「高知屋」で宿特製の鰹 のたたきをご馳走になっており、さぬきうどんも何回か食べた。後は鯛めしを残すのみ。宇和島はその鯛めしが名物。城の周囲を歩 いていると海鮮割烹「一心」の看板が目に入る。メニューを見ると鯛めしが1,000円になっている。高くはない。


店は簡素ながらも品の良い造りで、中央に1枚板の大きなテーブルがでんと置かれている。室内の装飾や店員の対応も気持ちがよい 。間もなく若い調理人が盆を運んでくる。てっきり炊き込み風の鯛めしと思っていたのが、ご飯、ぶつ切りの鯛、タレ、それに玉子 の黄身が別々に盆に載せてある。調理人に食べ方を教えてもらいながら、鯛の器に玉子の黄身とタレを入れてかき混ぜそれをご飯に かける。ウワァーうまい。奥深い甘さとしょっぱさがチクチクと舌を刺すような感じ? うまく表現できないが、とに角美味しい。 ご主人に特殊な酒が入っているのか尋ねたら、酒は使用せず、卵の大きさを考慮しながら醤油と味醂だけで微妙に調合するのだそう だ。「一心」独特の味だそうで、事実数日後に道後温泉でも鯛めしを食べたが、1500円したのに味は普通だった。


  

札    所:なし

  

歩いた距離 :34.6km

  

7月11日(日)  24日目

曇り時々雨  6時40分ビジネスホテル鶴島を発つ。 今日の目標は宇和運動公園、図上距離約25kmなので時間的には余裕がある。ホテルを出てすぐにローソンで朝食(おにぎり×1 、豆腐300g、牛乳500cc)を買い、店の前で立ち食いする。42番仏木寺から約1km、いよいよ険しい坂道で知られた歯 長峠(はながとうげ)に差し掛かる。標高差は300mある。江戸時代にはこの遍路道は主要な幹線道路として1日300人以上の 往来があったという。もしかしたら馬も通ったかもしれない。ならば遍路仲間で言われるほどきつくはないのだろうと考え遍路道を 進むことにした。


それほど急ではない坂道を30分ほど進むと県道に合流、そのまま県道を進んで次の遍路道の入り口に差し掛かると『きついのは最 初だけです』との掲示があり、やはり言われているほどきつくはないのだろうと、勝手に勇気づけられて遍路道に突入した。急な石 段を登るとヘンロ小屋があり、こんな雨で湿っぽい中お遍路が寝ている。起こさぬようそっと通り過ぎる。掲示のとおり最初の1/ 3はほどほどのきつさだった。しかし、次の1/3はもっときつく、道脇の鎖につかまりながら登る。さっきの掲示は間違っている 、これでは馬は無理だろうなどと考えながら進む。しかし、その先の登り道はたいしたことはなく、程なく峠に着いた。


下りは概ね緩やかな坂道、霧のような雨が降り続きあたりがますます暗くなる。静寂に包まれた薄暗い山の中を、ただひとり黙々と 坂を下る。ふと右側の林の中に、息を殺すような何かの気配を感じる。動物がいるのかと足を止め周囲を見るが何も見えない。滑ら ないよう再び神経を集中して坂を下る。しばらくすると、また右側の林の中に何かの気配を感じる。確かに息遣いのように聞こえる 。さっきから何かがついて来ているのだろうか、足を止めて見回すが林の中に白いもやが見えるだけ。 気にはしない方だが、何と なく気味が悪い。また慎重に下りだすと、暫くすると下の方から微かに車の音が聞こえてくる。漸く人間界に戻ってきたようでホッ とする。


宇和の町に入る。野宿場所の宇和運動公園はへんろ地図には出ていないが、インターネット情報では国道29号線に沿う川の対岸で それほど遠くない所なので、山中の43番明石寺を打つ前に場所を確認しておこうと考えた。昼食のため入った「大介うどん」の店 員に場所を尋ねたら「この方向の、薬局の先」との返事。それらしき場所に行ったがわからない。今度は年配の2人づれに尋ねた。 「次の信号を右に曲がって真直ぐ行った丘の上」との答え。インターネット情報とは逆の方向だが、明確な説明なのでそのとおり進 むがそれらしい公園が見つからない。再度年配の2人づれに尋ねる。指差して「あそこ」と言う。確かに野球場のようなグランドが あるが、それは高校のグランドで公園ではない。仕方がないので先に明石寺を打つことにする。納経の時に係りの人に聞くと、要図 で説明してくれた。インターネット情報のとおり川向こうに宇和運動公園と記載されている。


坂を下っていると空模様が怪しくなる。「テントを張る前に降るなよ」と祈っていたがついに降り出す。かなり強くなり、雨雲も厚 い。この調子で一晩降られたら困るので宿をとることにし、松尾旅館のホテル部に予約を取る。松尾旅館は江戸時代からの老舗旅館 で、昔から受け継がれた糠床を生かした漬物が有名だ。女将は若い頃はとても美人で、女優の大原麗子と一緒に撮った写真ではどち らが女優かわからないくらい。明治期には浜口雄幸などの歴代首相も泊まっている。雨のおかげで由緒ある旅館の施設を利用できた が、修理がままにならない状態をたくさん目にして、経営の苦しさを実感した。


  

札    所:41番龍光寺  42番仏木寺  43番明石寺

  

歩いた距離 :33.0km

  

7月12日(月)  25日目

4時起床、テレビをつけたら全米女子オープンゴルフとワールドカップ決勝戦(オランダ対スペイン戦)が放映されている。サッカ ーを見ながら出発準備と昨日の残りで朝食を済ませ、6時10分松尾旅館のホテル部を発つ。

今日の目標は、内子町の道の駅「フレッシュパークからり」で、図上距離34kmあるが、朝早いぶん時間に余裕がある。大雨注意 報が出ていて激しい雨が降るなか鳥坂峠に向かう。約2時間の上り坂、次いで1時間半の下り坂を休みなく歩き続け、漸くコーヒー ハウスが見つかったので休憩にする。ずぶ濡れだが体が火照っているのでカキ氷を注文する。店を出る時にはママさんと客の皆さん の応援を受ける。


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臥龍温泉の足湯

雨が止む。大洲市の入り口付近に日帰り入浴施設の臥龍温泉があり無料の足湯が設けられているので、暫し休憩して足湯に浸かる。 大洲市には古い町並みが残っており、1966年NHKの連続ドラマ「おはなはん」が撮影された「おはなはん通り」に行く。明治 期の家並みが残っており、側溝には綺麗な水が流れて鯉が泳いでいる。花も飾られており、古い町並みを維持するためにはそこに住 む人の努力に負うところが多く、大変なことだろうと想像する。


十夜ヶ橋(とよがはし)にさしかかる。言い伝えによると、泊まる宿がなくてこの橋の下で野宿した空海の眠りを妨げないように、 遍路の戒めとして「橋の上では金剛杖をつかない」慣わしになったという。空海が野宿した場所という意味で歩き遍路にとって聖地 的な位置づけにある場所だが、日程の都合上足早に過ぎる。


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伝統的な建築物、内子座

3時半内子町に入る。内子町は古い町並みが保存されている。町づくりの中核として木造2階建ての内子座があり、毎年定期的に歌 舞伎などが演じられている。内子座は道後温泉本館と並ぶ四国を代表する木造の大建築物で、建て混んだ町の中では屋根ひとつ抜き ん出て異彩を放っている。


4時、道の駅「内子フレッシュパークからり」に着く。からりは小さな道の駅で野宿に適する場所を探すが見当たらない。更に今日 は清掃日に当たっており5時から全員で大掃除するという。大掃除の間ここで待っていることもできないし、雨も激しくなっている ので野宿をあきらめ龍王温泉に電話するが「現在使われていない」の放送。別の宿に電話するが出ない。


内子町での宿をあきらめて約4km先の善根宿「お遍路無料宿」に連絡すると、自由に使ってよいとの返事をもらう。激しい雨の 中急いで歩き6時過ぎに到着する。元の倉庫を改造して、4畳のたたみとコンクリートの土間に机・椅子などが置いてある。布団 も準備されている。道路の向かい側に水道があって体の手入れなどに不自由はない。宿主はほとんど顔を出さず関与もしないもよ う。ノートの最初のページには宿主の


 

見返りを求めない自分になりたい

 

認められなくても 報いられなくても 気にならない

 

そんな素直な人になりたい


との言葉が記されている。ノートによると直前の利用者は約2週間前、全員がノートに記入するわけではないので明確にはいえない が、あまり利用者は多くないようだ。1ヶ月ほど前には、雨の中母娘の二人連れが泊まっており、感謝の言葉が記されている。とに 角、雨露をしのげる場所があることは、歩き遍路にとってとても有難い。


  

札    所:なし

  

歩いた距離 :42.4km

   

7月13日(火)  26日目

5時50分「お遍路無料宿」を発つ。今日の目標は大宝寺を打つこと。図上距離33km、昨日のうちに5kmほど進んだ形になっ ているので時間的には余裕があるが、難所の鴇田峠(ひわたとうげ)越えが待ち構えている。


突合(つきあわせ)の三叉路で鴇田峠の遍路道に入るか県道380号線を行くか考えていると、部落の人が「昨日の大雨で峠道は崖 崩れがあるかもしれないよ」と声を掛けてくれる。現地の人の忠告には素直に従ったほうがよい。県道を行くことにするが、このル ートにも新真弓トンネルまでの2時間の長い坂道がある。トンネル直前で近道の遍路道を通ったが、遍路道が雨の通り道になってお り、流れで倒された草が岩を覆ってとても滑りやすくなっている。注意していたがやはり滑ってしまった。


久万町に向かうため落合で県道380号線と別れて国道33号線に入る。ところが国道に入ったとたん歩道がなくなる。歩道の代用 品であった側溝も蓋が被っていないところが多く、しかたなく車道にはみ出しながら白線の上を歩かざるを得ない。県道は歩道が広 く歩きやすかったのに、国道に入ったとたんこんな状態になってしまう。(国道33号線ももっと先では広くなり、歩道も改善され ていた。) 久万町は四周を山に囲まれた盆地にあり、久万川沿いに33号線が走って町並みが続いている。


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民家に隠れた大宝寺山門

4時ごろ、44番大宝寺の山門に着く。山門を見て驚いた。民家が道路に出っ張るように建てられているので山門の右側が隠れて見 えない。何となく寺と住民との関係を暗示するような印象を受けた。更に進むと寺の駐車場がある。雑草が生えて荒れている。トイ レに行くと中まで雑草が侵入し、昔の小学校のように1列に並んで壁に向かう古いタイプのトイレが黄色くなってハエが飛び交って いる。44番は88ヶ寺のちょうど中間点になるので記念すべき節目だ。漸くここまで来たのかと心浮き浮きしていたのだが、一挙に に萎んでしまった。


境内の樹木も手入れが行き届いていない。がっかりしながら、とにかく参拝をすませて納経所に行くと、窓口では中年の女性がTシ ャツ姿で座っている。「お願いします」と納経帳を差し出すが、返事もなくこちらを見ようともしない。「ありがとうございます」 と言いながら1000円札をトレーに載せて差し出したところ、おつりの700円の硬貨を私の手のひらに大分上から落としてよこ した。私には投げ返されたように感じられた。その間一言も発せず私に目を向けようともしない。何という寺だ! こんな寺は札所 の資格なんてない、と憤りながら坂を下っていると急に足元がふらつき、冷や汗が大量に流れ出した。低血糖の症状だ。すぐに固形 ブドウ糖を口に入れ近くの自販機でジュースを買って飲んだ。


今日は民宿に泊まる予定で、インターネット情報に基づく「女将がとても優しい」宿と「料理がよい」宿が候補だが、どちらがどう なのかは忘れてしまった。昼の休憩時に、まず明日の45番岩屋寺の経路上にある「一里木」に2度電話するが出ない。次いで少し 打戻りになってしまう「笛ヶ滝」に電話すると予約が取れた。宿に着いてみると「笛ヶ滝」は、本業は和食系のレストランで、店の 上部をマンション風にして一部の部屋を民宿に活用している。つまり料理がよい民宿だった。マンションタイプの部屋は、普段の生 活感覚に戻って自分の自由時間が取れるのがよい。


  

札    所:44番大宝寺

  

歩いた距離 :42.0km

    

7月14日(水)  27日目

早朝から雨が降る。今日は打戻り。岩屋寺へは厳しい山道のため雨着をつけても内側から濡れるので、最初から雨着をつけないこと にする。6時30分、バッグを預けて民宿「笛ヶ滝」を発つ。岩屋寺までは山道を含んで約12km 所要時間3時間。帰りは下り なので2時間ぐらい、参拝の時間をいれても12時過ぎには戻ることができるだろう。途中から雨が強くなり、すれ違った歩き遍路 は傘をさしている。


大きな丘を2つ越えて国民宿舎「古岩屋荘」を過ぎたあたりから雨が止んだが、左手に滔々と流れる渓流の音を聞きながら漸く岩屋 寺の駐車場に着いた。駐車場からは急な階段や坂道が標高差100mほども続く。周囲は巨大な杉や桧が林立しており、古色然たる 荘厳な雰囲気が漂う中を、一歩一歩足元に気をつけながら登っていく。20分ほどで巨大な断崖絶壁を背景に岩盤の上に建つ本堂に たどり着いた。


本堂では、私とほぼ同年輩のご夫婦が一心にお経をあげている。夫は妻の肩に手を置いて祈り、妻は涙を流しながらその祈りを受け 入れている。ひとときの祈りが終わると夫は妻に「楽になったか」と優しく声を掛け、妻は静かにうなづき返す。妻は足が悪いよう で、杖にすがりながら隣の太子堂に向かって夫の後に従っていく。 とても感動的な場面に遭遇した。自分が般若心経をあげる時に は、思わず先ほどの場面が脳裏をよぎり、感動で声が震えた。お遍路後半の最初の札所にふさわしい思いがした。


岩屋寺に向かう道には平家を弔う石碑がいくつか建てられている。源平の合戦は12世紀後半、その落人が源氏の追っ手を逃れてこ の地に入ったことになる。そこで疑問が湧いた。寺の縁起によれば、弘法大師が修行の聖地を求めたことが縁で、寺は815年に開 創したことになっている。9世紀初頭には既にこの地に修験場があって、修験僧が、後にはお遍路が往来していたことになる。修験 僧(山伏)は諸国をめぐる当時では第1級の情報通、またお遍路も京をはじめとする関西地方からが多かっただろう。350年も前 からこうした人々の往来がある地に、平家の落人が追っ手を逃れてくるだろうか。つまり


@ 弘法大師の開創説は事実ではなく、平家の落人が逃れたときより後の時代に岩屋寺が創建された。

A 石碑には昭和58年建立の刻印があるので、落人説は事実ではなく、地域起しの流れに便乗した。


どちらが正しいかが問題ではなく、道すがら目に触れるものをネタにこんなことを考えながら歩くのも楽しい。


帰路の途中から大雨になり、全身びしょ濡れになりながら12時過ぎに笛ヶ滝に着く。荷物を受け取って16.5km先の46番浄 瑠璃寺に向けて発つ。三坂峠までの登り2時間、下り2時間なので4時半ごろには浄瑠璃寺に着くだろう。急いだので三坂峠の少し 手前の休憩所に1時間半で着いた。休憩中のタクシーの運転手は「ここからなら48番の西林寺まで行けるよ」という。更に6km 先だ。雨も降っていない、足の調子もよいので自分でも行けそうな気がする。


午前中に予約した浄瑠璃寺の前にある民宿「長珍屋」をキャンセルしようかなどと考えながら歩いていると、突然、歩道の縁石にか ぶさるように蛇が横たわっているのが目に入った。驚いて立ち止まると、1mほどの蛇は車にはねられたようで尻尾の付近が裂けて おり、鎌首を少し上げて白い目をカッと見開いて私のほうをじっと見ている。動かないがまだ生きている。金剛杖で草むらのほうに 動かそうかとも考えたが、何となく気味が悪かったのでそのまま足早に行き過ぎた。


10mほど進んだその時に「三坂峠の頂上」との看板が目に入ったが、頭の中は先ほどの傷ついた蛇のことで一杯。見開いた白い目 が、助けを求めていたように思えてとても気になる。もしここで戻って蛇を助けたら、もしかしたら現代版の「蛇の恩返し」に発展 するのかななどと、一瞬だが馬鹿げた妄想を頭に浮かべながら、戻ろうかどうしようか迷った。その間も足はどんどん進む。結局更 に速度を上げてそのまま坂を下りはじめた。


既に3時を過ぎた。長珍屋に断りを入れるなら早いほうがよい。決めた。すぐにキャンセルの電話を入れる。ところが電話を切った とたんに雨が降り出した。「予約」と「キャンセル」、迷ったことに対する罰に違いない。総理大臣であってもヒラであってもブレ てはいけないのだ。時折駆け足になりながら更に速度を上げた。もう3時半、半分以上は下ったはずなのに道脇の掲示は「裾まで9 .9km」の表示。エぇー? そんなはずはないのに、と思いつつ降り続く雨の中を急いで下る。次の掲示は「松山市内まで16k m」となっている。もう2時間以上も下っている。へんろ地図を見直した。道を間違っている、今下っている道は国道33号線だ。 峠付近でへんろ道に入らなければならなかったのに、みちしるべが目に入らなかった。長珍屋をキャンセルした罰か、蛇を助けなか った報いか。


 

実は、後で聞いたところ、「三坂峠の頂上」の看板の下にみちしるべがあるという。ちょうど傷ついた蛇の目で頭がいっぱいにな  っていた時で、見過ごしてしまったのだろう。何ということか。


もう既にへんろ地図の枠外に出ているため、自分がどこに居るかも分からない。今さら峠まで戻れない、かといって松山市内に行っ て逆に戻ると30km以上にはなるだろう。今日は既に40kmは歩いている。70kmでも歩けないことはないが、明日以降には 影響が出るだろう。しかも、知らない夜道では順調にいくはずはなくどれだけ時間がかかるかわからない。仕方ない、歩き遍路にと っては禁じ手だがヒッチハイクをしよう。


早速手を上げるが車は止まってくれない。また5分ほど歩き再度手を上げるが、やはり止まってくれない。また5分ほど歩いて手を 上げる。数台続いた車列の最後尾の軽自動車が少し先で停車した。事情を話してへんろ地図でわかる場所まで乗せて欲しいと頼んだ が、渋い顔をしてOKにはならない。もう既に正規のへんろ道の2倍の距離は歩いていること、明日は46番浄瑠璃寺に戻って打ち 直すことなどと説得し、漸く乗せてもらえることになった。


車中の話では、四国では歩き遍路は決して車に乗せてはいけないと、子供のときから言い聞かせられていると言う。しかし、この男 性は、かつて体調を崩して行き倒れた歩き遍路が拒むにもかかわらず病院に搬送して一命を取り留めたことがあり、病気の場合は例 外だと考えている。私の場合も病気かと思ったが、そうでないので最初は渋ったそうだ。しかし、「2倍もの歩き修行をしたのだか ら、車に乗ってもお大師様に許されるよね。」と、自分自身への言い訳か私への慰めか、どちらとも取れる言葉があった。結局47 番八坂寺まで乗せてもらい、明日は46番浄瑠璃寺に打ち戻ることを約束して、お礼に納め札(※)を渡して別れた。


※ お遍路では、お接待に対するお礼は納め札を渡す習慣がある。納め札には印刷された定型文に加えて、お遍路の住所、氏名 、年齢、感じたことなどを書く。


車を利用したことが間違っているとは思わないが、「歩き」に強くこだわるならば、とに角その付近で一夜を過ごし、明るくなって から自らの足でわかる場所まで移動することが正解だろう。その時は思いつかなかった。


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小奇麗な二間続きの通夜堂

八坂寺には通夜堂がある。たまたま寺の前で会った老婆が「お遍路も遠慮なく助けを受ければいいんだよ」と慰めてくれるとともに 、納経時間を過ぎた八坂寺の通夜堂の借り方を教えてくれた。遍路情報では八坂寺は納経しないと通夜堂を貸さないと聞いていたの で助かった。教えられたとおりに住職の住居を訪ねて住職夫人に一晩の宿を頼むと快く了解が得られた。


夫人から鍵を受領し、食事の買出しのために自転車も借りられることになった。通夜堂はプレハブ造りの、2間と台所がついている 小奇麗な使い勝手のよい間取りで、掃除も行き届いており綺麗な布団も備えられている。恐らく住職夫人の心遣いであろう、壁には お遍路の落書き用の紙が張られているほか、飾り棚には生花も生けられている。また、近傍の略図が掲示されており、食事の買出し にとても助かった。


  

札   所:45番岩屋寺

  

移動距離:46.6km

   

7月15日(木)  28日目

晴れ。7時にまず八坂寺を参拝して納経所で住職に一夜のお礼を言った。その後、昨日の約束どおり浄瑠璃寺に向かう。形としては 一区間ではあるが逆打ちになるが、みちしるべが順打ち用に貼られているためよく見えない。当然へんろ地図も見ながら歩いたが、 たった1kmの短い距離でも道を間違った。逆打ちがいかに難しいか実感した。


再び八坂寺の前を通って48番西林寺に向かう。古い家並みの間の細い道を進むが、みちしるべが少なくて曲がり角が良く分からな い。漸く住宅地を抜けて田んぼの中の県道194号線に乗ったと思って歩いていると、車が横に止まり「道が違う」と声を掛けてく る。少し戻って地図を確認していると散歩中の男性が、「このあたりはよくお遍路が間違うんだ」と話しかけてきて橋のたもとまで 送ってくれた。水田地帯は視界が良いが目印になるものが少なく、たくさんの小道があるので方向の維持が難しい。その点山道は脇 道が少ないので道を間違うことは少ない。


46番浄瑠璃寺から51番石手寺までは1kmから5kmぐらいの短い間隔で札所が連なっている。今日の宿所は、楽しみにしてい た道後温泉。元気回復のため1日〜2日温泉に浸かりながらゆっくりしてもいいな、と思っている。宿は、遍路用の小冊子に出てい たホテル「エコ道後」、格安の2300円で相部屋に泊まれる。ここしばらく同宿者がなかったので、久し振りに相部屋でお遍路に 会えることを期待して予約を取る。


「エコ道後」には2時半に着いた。古いが掃除の行き届いたビジネスホテル、期待どおり1名の先住者がいる。京都出身で50歳代 、以前は農業を営んでいたが事情があって土地を手放した後は、知人の農家を手伝って渡り歩いている。つい先日まで時給1000 円で3ヶ月間手伝っていた。知人であれば待遇が良いが、多くの場合は働かされ損だという。ほとんど家に帰ることはなく、しばら く休養した後、次はインドネシアに渡る予定という。


道後温泉

伝統的な建築物、道後温泉本館

ホテルの周辺を散歩して帰ってくると、新たな同宿者が着いていた。小豆島出身で20歳代半ばの青年、松山市内の愛媛大学を卒業 して地元の市役所で選挙担当として勤務していたが、市長と議員の板ばさみに悩んで退職、日本一周の自転車旅行の途中という。い ずれは地元の消防署に勤務したいとの希望を持っている。一応人生の先輩として「どんな勤務でも悩みや矛盾はあるものだから、ど こかで折り合いをつけないと次々と職を変えるようになる」という趣旨の助言をしたら熱心に聴いてくれた。自分の気持ちに正直なのは若者の特権、とても素直で好感の持てる青年だ。お互い見ず知らず、再会することもないとの安心感があ るためか、身の上話に花を咲かせることがある。


洗濯を済ませてから道後温泉に行く。道後温泉本館は四国を代表する3階建ての木造建築物で、懐古的なたたずまいは魅力的だ。入 場料は400円、800円、1200円の3段階になっており、その差は、温泉に入るのみ、2階の休憩所で浴衣・茶・菓子の接待 がある、3階はその接待が少し手厚くなる、とのこと。中庸の800円を払って入場しようとすると、時間制限があって入館から退 館までが1時間だという。私にとって温泉は、湯に入って休憩と仮眠、また入浴して休憩、それを何回か繰り返すもので、1時間で は不足だ。時間延長は5分程度は大目に見るがそれ以上は無理だとの返事。意外な状況に道後温泉で1日〜2日休養しようかとの期 待がしぼんでゆく。


路面電車

少なくなってしまった路面電車

温泉を出たあと、本館の前のレストランで「鯛めし」を食べたが、値段は5割り増しなのに味は普通で宇和島には遠く及ばない。前 の商店街を抜けて市内電車の道後温泉駅に出る。まだ十分に明るいので市内観光をと思ったがどこに行ったらよいかわからない。そ うだ、市内電車を利用すればいい。すぐに電車に乗ってJR松山駅までの往復の間に松山城、愛媛大学、官庁街、繁華街など市内の 主な場所を一通り見てしまった。


もともと観光はあまり重視していない遍路行、先ほどの道後温泉、鯛めしのことなどから数日滞在する意欲が失せてしまった。更に 、もしゆっくり休んでしまうと、次に歩くときに調子を取り戻すのに時間がかかるかもしれないとも思った。決めた、明日の朝発と う。


札   所:46番浄瑠璃寺 47番八坂寺 48番西林寺 49番浄土寺 50番繁多寺  51番石手寺

移動距離:22.3km 

 

7月16日(金)  29日目

晴れ。寝ている2人に別れを告げてホテルを出る。道後温泉本館前をちょうど6時に通り過ぎると、本館の営業開始の太鼓の音が響 く。既に本館前で待っていた浴衣姿の観光客が入っていく。


次の52番太山寺は、山の裾をたどる道と市街地を抜ける道の2つがある。山裾の道を行こうとしたがみちしるべが少なく歓楽街に 迷い込んでしまった。しかたなく通りに出て市街地を進む。へんろ地図を見ながら歩いていると、後ろから来たタクシーが反対車線 で止まり窓を開けて呼びかけてくる。近づくと「頑張れや」と言いつつ何か紙袋を差し出す。お接待を有難く受け、ついでに道を尋 ねると懇切丁寧に教えてくれた。タクシーが走り去ったあと袋を覗くと「徳島鳴門金時ケーキ」、なぜ徳島なの?と思ったが、とて も美味しそうなケーキだった。


交差点などで道の確認をしていると必ずといっていいほど土地の人が話しかけ、道を教えてくれる。今日もここまで約2時間の間に 3回声を掛けられた。物によるお接待も他国者にとっては得がたい体験であるが、へんろ道の人々のこのようなちょっとした親切も、 とてもありがたく感じる。

一草庵

山頭火終焉の地「一草庵」

教えられた道を進み、護国神社前を過ぎると偶然、自由律句の俳人山頭火の終焉の地「一草庵」を示す標識が目に入った。山頭火は 雲水姿で西日本を中心に放浪し、自らも度々お遍路して

鈴をふりふりお四国の土になるべく   (山頭火)


の句を残している。現在は立派な記念館が建てられており、掃除をしていた隣りの龍泰寺ご住職に挨拶して、休憩を兼ねてしばらく 見学した。

今晩の宿所は、出発前から是非行きたいと考えていた鎌大師を予定している。元の庵主である手束妙絹 さんはお遍路にとても理解のあった人で、

菜の花や 旅こそ自由 鈴ふりて


という俳句を残している。この句は、表面的には気の向くまま思うままの気楽な旅を詠っているようだが、実は『困難は自分の足で 切り抜けなければならない、辛くても楽しくてもみな自分の責任で決めるのがお遍路なのだ』との、お遍路に対する戒めの句だとい う。お遍路にとても理解のあった人らしい句だと思う。インターネットでは宿泊できるとの情報があったので、もしかしたらもっと 深い何かに触れることができるかと期待して電話した。ところが「宿泊は受けていない」との返事だった。


やはりインターネットで"安くて食事がうまい"との評判があったホテル「コスタブランカ」に連絡したが電話が繋がらない。そこで 少し手前の「北条水軍ユースホステル」に予約を入れた。ユースホステルは初めて。若い人が安い料金で利用する宿で同宿者や宿主 との交流が得られる、程度の知識しか持っていなかった。

 

※ユースのご主人によれば、コスタブランカは工事関係者が長期滞在しており宿泊は無理だ、とのことだった。


ベンチで電話をかけていると歩き遍路が隣に座る。北海道の小島さん、荷物を持たず金剛杖2本だけでの歩きだ。聞けば途中から腰 に痛みを感じるようになり荷物が背負えないので、宿に預けて歩き、次の宿に着いたら鉄道などで戻って荷物を受け取り宿まで運ぶ 。この繰り返しで歩き遍路をつないでいる。歩き遍路は、訳があって車や鉄道などを利用した場合には翌日にそこに戻って再び歩け ば「歩き」が成立する。ご両親が熱心な真言宗徒で子供の頃から『当然お遍路をする』と思っていたそうで、何が何でも歩きとおし たいという熱意が伝わってくる。私が、お遍路の原点を求めて野宿や善根宿などを利用しているというと、「そこまで自分を落とし たくはない」との返事があり、お遍路にもさまざまな考えがあると思った。


昼過ぎから急に猛烈な雨が降り出す。急いでザックにカバーを掛けて濡れたまま歩く。ユースには3時半に到着した。漁師町の立て 込んだ家並に混じる普通の民家だ。ベルを押して玄関を開けると、小さな上がり口に大きなゴールデンレトリバーがでんと構えて宿 主とともに出迎えてくれる。家の中はとても雑然としている。和・洋のうち洋の部屋を希望すると、和を準備していたようで急いで 洋室の掃除を始める。 洗濯を済ませたあとで、近くの日帰り温泉に案内してもらった。最近できたオーシャンビューの素晴らしい 温泉だ。十分にリラックスして温泉から帰ると、新しく1組の夫婦が客としてきている。何度も来ている人のようで宿主や犬の「ミ ュー」とも顔なじみだ。ユースはご主人ひとりで取り仕切っており、客の対応や食事の準備に大忙しだ。


夕食はタイ料理。名前は忘れてしまったが日本のカレーに相当するものだそうで、おかず類もとても美味しく、3人とも腹いっぱい 味わった。ご主人は50歳代半ば、以前にユースホステルに勤めていたことがあり、料理は得意。このユースホステルの客は、お遍 路は少なく主に宿主の料理のファンと犬友達とのことで、多い人は年に4〜5回はやってくるらしい。最近は長梅雨のせいで客は少 ないが、それでも明日からの週末には12人と犬2匹の客がある。犬が泊まれる宿としてはかなり有名だそうで、犬お断りの宿から の紹介も多いという。また、お正月や季節の節目にご主人が腕を振るって作る特別料理を目当てに、かなり先まで予約が入って繁盛 している。


「北条水軍〜」という名が珍しいので理由を尋ねると、ご本人は広島県出身で無関係だが、かつて瀬戸内海のこの海域では「北条水 軍」が活躍していたので、料理の腕を生かして「水軍なべ」や「水軍焼き」といった日本に2つとない創作料理で売り出そうと考え て命名したとのことである。ユースホステルだから狭い共同部屋にでも泊まれればいいか、程度に考えていたが、男所帯の雑然さは あるものの、素晴らしい驚きとの遭遇であった。


  

札   所:52番太山寺  53番円明寺

  

移動距離:27.2km

 
 

7月17日(土)  30日目

晴れ。梅雨が明けたもようで、朝から急に日差しが強くなる。愛媛県は四国では西の部分に位置する。順打ちでは左は海で開けてい るが右は山や崖になるので、午前中は東南方からの太陽の日陰になって涼しくて歩きやすい。今日は、約37km先の58番仙遊寺 の宿坊に泊まる予定。

  

海風に 日陰もあとおし 荷も軽く  (自作)


歩き始めて約2時間、角を曲がったところの青果店で休憩時に食べるため甘夏を買おうとすると、奥からご主人が「ダメ、ダメ、買 っちゃダメ、美味くないよ」と言いながら出てくる。えェー?と立ちすくんでいると、冷蔵庫から小ぶりの甘夏を2個取り出して、 「こちらの方が冷たくて甘いよ」と言いながらお接待だから食えと言う。お遍路は必ずこの店の前を通る。ご主人はお遍路にとても 詳しく、お遍路やお寺についていろいろ話してくれた。


更に約2時間、右足の靴下がよじれて親指の付け根がチクチクする。どうも歩き方に癖があるようで、痛くなるのは常に右足だ。靴 下を治すため荷を降ろす場所を探しながら青果・雑貨店の前を通り過ぎようとすると、奥からご主人が「お遍路さん、休憩していき なよ」とオロナミンCを差し出す。荷を降ろして飲んでいると、「熟れているけど美味しいよ」とバナナを差し出す。ありがたく頂 いていると「半分だけど」と言って今度は桃を差し出し、ご主人と一緒に食べる。お接待で十分なおやつになった。


やがて菊間町、瓦の町。左右ずっと瓦工場が続く。すると瓦工場の脇に婦人会が設けた無人の接待所がある。テーブルの上には土製 のペンダントや日用雑貨品、甘味食品などが置かれている。中で目に付いたのが婦人用の短い靴下。ちょうど靴下の具合が悪いので 1足頂いてすぐに現在の男物の靴下と履き替える。大きさは丁度よい。更に少し歩いて厄除けの『青木地蔵』で、水戸をよく知って いるというおばあさんから飴のお接待を受ける。


午前中に立て続けにお接待を受けたので歩きが遅れ気味になる。仙遊寺は宿坊に泊まるので、遅く なったら納経は明日の朝にすれば いいと考えながらのんびり歩く。55番南光坊を打ったのが3時。納経所の係から「仙遊寺まで8kmあるので、あと2時間では無 理ですよ」と言われた。単純に8kmなら問題ないが、途中には2つ寺があり参拝にはそれぞれ10分か15分はかかる。更に仙遊 寺は標高255メートルの山の上にある。承知していたことではあるが、係から疑問符を投げかけられ、俄然やる気が出てきた。


急いだ。平地部分は半ば駆け足。56番泰山寺では団体さんとかち合ったが納経所では先に回してもらった。57番永福寺では納経 所が空いていたので先に済ませてあとから参拝した。その先から山道になる。進むにしたがって険しい坂道になり、横を数台の車遍 路が追い抜いていく。打ち終わって下る車もある。車中ではご夫婦が楽しそうに談笑している。これまでは、車だからバスだからと いって何も感じなかったが、この時ばかりは"車なんかはお遍路じゃない、お遍路は苦しいものだ、ニコニコ笑いながらお遍路ができ るものか"などと、ぶつぶつ言いながら急な坂道を急いだ。


いつもは数百メートルおきに「あと○○メートル」といった標識があるものだが、ここでは一向に標識がない。どこまで登ったのだ ろう、あと何メートルあるのだろう、と不安になりながら歩く。4時40分、まだかと思いつつカーブを曲がるとすぐ先に東屋の屋 根が見え出した。「山門まで100メートル」の標示がある。

仙遊寺入口

仙遊寺への登山口

あと2〜3分か、いや、そう簡単にいくものか、山門から先にまた急な階段があるのだろう、と疑心暗鬼になる。程なく山門に着い た。やはり心配した通りだ。山門から先は車道と分かれて歩き用の急な階段が続いている。躊躇する暇はない。すぐに階段に突入し て、息せきって登る。


木々がうっそうと茂り遍路道はますます暗くなる。10分程も進んだろうか、しかし一向に明るくならない。"やはりダメかな、どう せダメなら早く諦めたほうがいいかな。いや、とにかく5時までは頑張ろう"と先を急ぐ。すると、参拝者が突いているのだろう鐘 の音が遠くに聞こえる。大分近くなったようだ、でもまだ先に階段がくねくねと続いている。


最後の階段

階段の先に明かりが見える

重い足を引き上げながらどれくらい進んだろうか、突然、犬の吠える声が聞こえた。"そうだ、リッキー(※)が頂上から呼んでい るのだ。" 勇気100倍、重い足を急がせるが、まだ先が明るくならない。もう足が動かない、心臓が張り裂けそうだ。 "リッ キー、ごめん。折角呼んでくれたのに、お父さん、もう動けない"と思ったとたんに涙があふれ落ちた。すると、涙の先にうっすら と階段が見える。見上げると天にも続くかと思われる急な階段があり、その先に明るい空が見えるではないか。よかった、もうすぐ だ、頑張れ。金剛杖で体を押し上げつつ漸く階段を登りきった。

※ リッキー:愛犬、雄のチワワ10歳


4時58分、まだ間に合う。まず納経所に行こう。右手から団体客の添乗員が二人近づいてくるので納経所がどこか尋ねた。ところ が、二人は顔を見合わせて苦笑いしながら行ってしまった。 ?? 恐らく口は動いているけど、疲れと喉の渇きで声になっていな かったのだろう。今度はお賽銭を回収しているご婦人が見えたので尋ねると、指差して教えてくれる。荷物を背負ったまま納経所に 飛び込んだ。既に5時は過ぎていたのだろうが、状況を察した係りのご婦人が笑顔で「大変でしたね、ご苦労様」と言って、納経を 受けてくれた。


よかった、これで今日の目的は達成できた。これもリッキーのおかげだと思いつつ参拝した。納経所を出ると横を3匹のシェパード が駆け抜けていく。さっきの吠え声はこの犬がエサをねだって吠えたのに違いない。「いいんだ、お父さんにはお前の声に聞こえた んだ、リッキーありがとう。」でも、シェパードが吠えたのはあの時だけ、不思議な偶然があるものだ。


お遍路を通じて体力的に最もきつかったのは12番焼山寺であったが、今日の南光坊から仙遊寺までの道は、2時間という時間に限 れば最も厳しい体験になった。この度のお遍路では、最初は納経をしなかったが、お遍路を支えてくれる四国の皆さんへの感謝のひ とつの形として納経をするように変えた。ところが納経をすることによって返って札所の姿勢に疑問を持つことが多くなり、納経を 止めてしまおうかと考えることも度々あった。しかし、時間が5時までに区切られたことで今日の苦しいお遍路を体験することがで きたわけだから、今後も札所に対してはいろいろ不信感も生じることもあろうが、納経は続けようと思う。


宿坊で荷物を降ろし、素晴らしい温泉と精進料理をゆっくり味わった。


  

札   所:54番延命寺、 55番南光坊  56番泰山寺  57番栄福寺  58番仙遊寺

  

移動距離:40.2km

   

7月18日(日)  31日目

晴れ。多くの宿坊がそうであるように朝6時からのお勤めに参加する。住職が不在のため長男の若い副住職がお勤めを主催する。一 連の読経を終えて法話のために向き直って開口一番「家庭と違うのだからお勤めのときぐらい正座をしなさい。正座の辛さを味わう ことはお勤めにとって大切なことです。」と注意がある。約15人の参加者のうち正座していないのは私と隣の人だけ。名指しに近 い指摘だ。できれば正座をしたいけど、普段の生活でも正座ができないのに、しかも歩き遍路で足がむくんでいる私にとっては厳し い要求だ。


一方、法話の中では「サッカーボールは誰がどの方向から見ても丸く見えます。お釈迦様の教えもサッカーボールのように丸く、誰 が聞いても納得できるものです。あるがままを受け入れ、物事に拘らないことが大切です。」と言う。 アレ? あるがままを受け 入れろ、でもお勤めは正座しろ! 正座できない私にとっては矛盾しているように思えた。お勤めのあとに朝食、昨日の夕食に続き 朝食も精進料理をご馳走になる。ご飯はヒエのお粥で、正に健康食で美味しかった。


7時40分、宿坊を発つ。今日の目標は、明日登る予定の難所のひとつ60番横峰寺を打ち易くするためできるだけ近づいておく必 要があり、ユースホステルで紹介された約25km先の西条市内の民宿だ。時間的には余裕があるが、昨日の教訓を生かせるように 午前中に頑張ろう。しかし、仙遊寺の下山途中で温度・湿度計を落としてしまった。これから暑くなって温度管理が大切になる最初 の日に大事なものをなくしてしまった。


国分寺

朝から夏の太陽を浴びる国分寺

59番国分寺を打った9時ごろには強烈な太陽がジリジリと照り付ける。ここから西条市内までは県道156号〜196号で、日陰 のない単調な舗装道路を行かなければならない。腰につけたペットボトル4本中3本が空になったので、今治湯ノ浦の道の駅で水を 補給するとともに自販機の冷たいジュースを飲む。 11時30分、まだ昼には早いが、珍しくコンビニ「サークルK]に日除け付のテーブルが置いてあるので昼食休憩にする。


歩道の段差

お遍路にとっての難所、歩道の段差

順調に歩いて西条市内に入る。多くの歩道は車道よりも一段高くなっているため、沿道の家の車が出入りしやすいように歩道が削ら れている。歩行者側から見れば常に階段を上下することと同じ状態になっているので、歩きにくいこと極まりない。 西条市内では、階段状態の歩道を、車道と同じ高さに下げる改修工事が大規模に行われている。勿論お遍路のためではなく、ハンデ ィを負った人、弱者に対する施策として行われているのだろうが、状況的にはハンディに近いお遍路にとってはとてもありがたいこ とだと思う。

一方、矛盾するようだが、今のお遍路は昔に比べれば随分と楽になっている。昔は、橋もトンネルもない、1に山、2に山といわれ る険しい道を歩いていた。総距離も1600kmはあったろうと言われている。こんなに便利になって、果たして修行になるのだろ うかとも思う。


香園寺

近代的な建物の香園寺

明日の横峰寺の前に、麓の3km以内の距離にある61番から63番の3つの寺を打つことにする。 61番香園寺は、安産と子育てで有名なお寺で、寺らしからぬ近代的ビルであることから裕福な寺との印象を持った。次の62番宝寿寺は取り 壊した建物の土台がそのままに晒されていたり、本堂がバラックのように雑然としていたりで、香園寺の後に見ただけにそのみすぼ らしさが気になる。63番吉祥寺は札所の中では唯一毘沙門天をご本尊とし、昔は大伽藍を誇っていたというが今は小さな寺になっ ている。


3時半に62番の近くの民宿「鈴」に着いた。女将は、約10年前に大阪から移り住んだ人で、移住後間もなくご主人が亡くなられ たので、お茶や陶芸教室を開いている。以前は善根宿を開いて無料で泊めていたが事情があって中断していた。2年前から宿泊料3 900円(サンキュー)で民宿を再開したが、経費的に成り立たないので最近4600円(よろしく)に値上げしたが、それでもと ても安い。女将は、以前全国お弁当コンクールで優勝したそうで、宿の食事は栄養に配慮してたくさんの素材を使った素晴らしく美 味しいものであった。


同宿者は金沢さん。定年直後の5月から四国を回り始めたが、歩きに耐えられないことを知り一旦自宅に戻って休養した後、改めて お遍路を再開した。今度は歩きに限定せず、鉄道やバス、ロープウェイなどの交通機関を利用しつつ楽しく回っている。そして、再 開したお遍路も、もう7月も後半に入り暑くなってきたので明日で一旦打ち切りにするとのこと。なかなか気楽なお遍路で、こんな お遍路もありかなと思った。


食後、宝寿寺が話題に上った。宝寿寺の住職は一切寺には顔を出さず、雇われた職員がお勤めや寺務をしている。だから、午前7時 から午後5時までと定められている納経時間の始まりを、午前8時からに遅らせている。女将は信心深い人で、転居後間もなくの頃 宝寿寺に寄付したことがあるが、あまり評判が良くないのでその後は他の寺に寄付しているという。札所になっていることで自動的 に高額のお布施収入があることが、返って札所としての姿勢に疑問を抱かせる結果になっていると思った。


  

札   所:59番国分寺  61番香恩寺  62番宝寿寺  63番吉祥寺

  

移動距離:31.4km

   

7月19日(月)  32日目

横峰寺遠望

横峰寺は正面の山の頂上付近

晴れ、朝から暑い。60番横峰寺は打ち戻りなので荷物を預けて、6時40分「鈴」を発つ。昼頃に戻った後、目標の新居浜市の善 根宿まで進む予定。 へんろ地図に記載されている横峰寺への道は2つあり、いずれも雨が降れば崩れやすい厳しい遍路道だが、鈴の女将から「鈴だけの 特別情報だよ」といって別の近道を教えてもらう。この道は、途中に採石場があって大型車の通行があるが、その先はよく整備され た林道でとても歩きやすい。9時半に横峰寺に着く。参拝と休憩のあと山を下り、12時前に鈴に戻って荷物を受け取る。


宝寿寺は経路上にある。昨晩聞いた話を確認したくて立ち寄ってみた。12時10分に寺に着いて納経所に行くと、ひとりの歩き遍 路が戸惑い顔で話しかけてくる。12時5分前に来たが既に納経所は閉まっていたという。指差す方向を見ると、閉められた戸に「 12時45分まで休憩」との張り紙がある。その隣の張り紙には「納経時間7時〜」の「7」をマジックで「8」と上書きしてある。 "これは何だ"四国霊友会の申し合わせと違うではないか。簡単に移動できない歩き遍路にとってはただ待つしか方法はなく、この中 断はとても困る。この宝寿寺の件は、この後いろいろなところで耳にした。このことは霊友会も高野山も知っているだろうが、少人 数の抗議では動かないのだろう。「1000人、2000人まとまれば別だが」といった話もあった。


小豆島さん

自転車遍路の小豆島さん

横峰寺を登ったせいか体が重い。しかし、夏の太陽が照りつけるが、大きな菅笠のおかげで頭との隙間に風が通るし、体の大部分が 日陰になるためそれほど暑さを感じない。 国道を歩いていると、何と、自転車の小豆島さんが追いついてくるではないか。4日前に道後温泉で分かれたので、既にずっと先に 行っていると思っていた。再会を懐かしみ理由を聞くと、道後温泉で3日ほど休養していたという。今日のうちに香川県に入るとい うのでもう会うことはないであろうと、お互いに健闘を誓った。


今日の宿所は、お遍路情報に基づく新居浜市内の善根宿だ。電話番号がわからないので直接訪問する予定。4時ごろ善根宿がある萩 生の町に入ったので善根宿の「高橋畳店」を探しながら歩いていると、「高橋」の表札の家が見つかった。丁度ご婦人が庭の草花に 水遣りをしているので、声を掛けようと思って近づいた時に目が合う。そのご婦人は、遍路姿の私を見て玄関口に入ってしまった。 声を掛けるタイミングを失った。間違いかもしれないと思いつつ先に進むがそれらしい家は見つからない。やはりさっきの家が善根宿だったのだろう。仕方がない、縁がなかっ たとあきらめて7km先のビジネスホテルMISORAを予約した。6時ごろには着くだろう。


遍路道は商店街を通っている。商店街の自販機でジュースを買っていると、中年のご婦人が自転車で追いかけてきてお接待してくれ る。ありがたくビニール袋を受け取り、中を見るとお菓子が入っている。お礼を言ってる丁度その時、突然バイクに乗った若者がす ぐ横に来て盛んにエンジンを噴かしはじめた。ご婦人の声が聞き取れない。しばらく待ったが若者は一向に去ろうとしないので、仕 方なくご婦人は自転車を押して去っていった。間もなくバイクが走り去ったので再び袋を覗くと、お菓子の脇に千円札が入っている 。驚いてご婦人を探すが、もう姿は見えなくなっている。恐らく私が商店街を歩いているのを見て、急いでお菓子を買い千円札を忍 ばせたのだろう。これまでにもお接待はたくさん受けているし、500円のお金を受け取ったこともあるが、改めて四国の人々のお 接待の気持ちに感じ入った。一方、萩生の善根宿をあきらめたことが、こうしたお接待に繋がった。縁とは面白いもの。


6時過ぎにホテルに到着、洗濯物は今日の1日分だけしかないので、白衣だけを水洗いした。


札   所:60番横峰寺  64番前神寺

  

移動距離:47.3km

  

7月20日(火)  33日目

晴れ。6時半にホテルを発つ。カウンターに人がいないので鍵を置いて出る。10mほど進んだとき後ろから声がする。振り向く と、女性職員が走り出て挨拶している。国道11号線に出てすぐの橋を渡りながら周りの景色を見回すと、ホテルの前で先ほどの職 員がまだ手を振って見送りしている。5分ぐらい経つだろうか、その間ずっと見送っていてくれたのだ。とても嬉しく、心が晴れや かになった。深くお辞儀を返し、大きく手を振って先に進む。今日の目標は約40km先の善根宿。


7時10分、自転車の小豆島さんが反対側車線を追い抜いていく。あれれれッ? 昨日は香川県まで行かなかったのだ。まァ一人旅 の気楽さだな、手を振って見送った。


祠

遍路沿いの各所にある祠

遍路沿いにはたくさんのお地蔵様や道祖神、祠が作られており、地域の人々の素朴な信仰心が感じられて気持ちが和む。


愛媛県に入ってから人家が多くなり、必然的に野宿ポイントが少なくなっている。四国の人にとってはお遍路の野宿は日常のことで 、近くで見知らぬ人がテントを張り、あるいは寝袋のまま寝ていてもそれを許す気風が育っている。とてもありがたいことだが、お 遍路に対する考えもさまざまなので、市街地に近い場所では自重しなければならないだろう。また、夏休みが始まったことでもあり 、中学、高校生などのいたずらもあると聞く。更に、歩き始めて既に33日目、終末段階に入り健康の維持にも配慮しなければなら ない。また、家族も心配するので、野宿は止めることにする。途中の郵便局でテントや雨着など5kgほどを自宅に送り返した。バ ックの重さは約10kgに減ったのでとても歩きやすくなった。


今日は図上距離で約40km、実際にはもっと歩くことになるので、荷が軽くなったことで気が大きくなり、かなりの早足で歩いた 。もともと歩く姿勢に偏りがあるせいかこれまでも右足の靴下がよじれることが多かったが、遂に親指の付け根付近にチクチクした 痛みを感じるようになった。まだマメの卵であろうが、雨や汗で足湯状態になってもマメができなかったものが、荷を軽くした途端 にこうなるなんて皮肉なことだ。予防のためにヒリヒリ具合に按配しながら速度を緩めたり、頻繁に靴下を直した。


路傍の清水

路傍に滔々と流れる沢水

愛媛県最後の札所65番三角寺は、標高500mの山の上にある。真夏の太陽を受けて火照った体を冷やすために沢水を浴びる。傍 にひしゃくが置いてあるので、通りかかった地元の人に飲めるか尋ねるとここは大丈夫だとの返事。少し上でも綺麗な沢水が流れて いるが、こちらはその上に田んぼがあるので飲まないほうがよいと言う。実際にそこに行ってみると綺麗な沢水が流れているが、ひ しゃくは置いてない。地元の人のありがたい配慮だ。

三角寺

三角寺山門

                                  

三島公園を過ぎてからは松山自動車道に沿って遍路道を進む。三角寺の上り坂は急ではあるが所々に日陰があるので、それほどきつ くはない。近所のお年寄りの散歩姿もみられた。


三角寺の納経所で、品のよさそうな担当のご婦人が、次の宿について最寄の民宿を前提に話しかけてくる。私が善根宿だと答えると 一瞬言葉を呑み、黙ってしまった。当惑した私は、「お遍路の原点を体験したいので野宿とか善根宿などを利用している」などと、 しないでもいい言い訳をしてしまった。


三角寺の次は四国霊場の最高峰、標高910mの雲辺寺だ。したがって今日の宿を選ぶポイントは、翌朝からの登山に便利なように できるだけ雲辺寺に近づいておく。今晩の宿は、境目トンネルの前後にあって、お遍路仲間では評判の良い2つの善根宿のどちらか にする予定だ。


三角寺から椿堂を経由して192号線に乗るはずが、途中で道を間違えて1時間以上ロスしてしまった。椿堂に着い たときは既に5時になっていたので、トンネルの手前の善根宿「バス宿」に電話を入れて予約をとる。4.5kmの登りの坂道を4 5分で歩いて6時前に着いた。宿主は道路を挟んでスナックとバス宿を経営している。バス宿は、バスを改造して2人用の宿にした もので、テレビ、冷蔵庫、エアコンなど必要な備品は一応揃っている。バスの裏手ではシャワーも浴びることができる。綺麗ではな いが宿泊料2000円ならこんなものだろう。


宿主はスナックで待っていてくれた。バス宿で身の回りを片付けて夕食をとるためスナックへ行くと、地元の客も来ており楽しい食事になっ た。宿主さんは、飲んべいで気さくで優しい人だ。私は飲まないといったが、お接待だからとジンライムを出してくれた。また明日 の昼食にとおにぎりを4つも作ってくれた。このおにぎりは店のない雲辺寺の山ではとても助かった。地元さんも楽しい人で、やは り札所の寺が話題に上った。地元さんは雲辺寺の檀家で、ずっと失業中なのに度々寄付を求められることで寺に対してはよい感情を 持っていないが、「先祖を人質に取られているから仕方ない」との言い方が印象に残った。


宿主によれば、新居浜を出てここまで歩いて来た客は初めてとのことで、今日の移動距離は47.5kmで、お遍路を通じて最も長 い距離を歩いた。


  

札   所:65番三角寺

  

移動距離:47.5km

  
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