人生の余り道  (吹矢を楽しむ)

北関東大会に参加して


2019年6月13日、「認定研修所・いこいの村涸沼」において「第9回北関東スポーツウエルネス吹矢大会」が行われた。


北関東大会は茨城、栃木、群馬の北関東3県の持ち回りとなっており、今年は茨城県協会が担当した。今年は茨城国体が実施されることで会場確保が難しいなどの事情があったため、「いこいの村涸沼」で実施している「涸沼杯」と兼ねて実施することになった。


競技は3県から91名の参加者を得て、8mと10mの男女別で計4部門で戦われた。私は、北関東大会の実行委員長の立場ではあったが、当日の運営は涸沼の関係者が担当してくれたので、選手として参加することができた。


順調に競技が進み第5ラウンド終了時点で、私は2位とは4点差の1位だった。第6ラウンドは、相手が満点取っても1本外しの33点までは許される。特に緊張することもなく的に向かった。4本が7点圏に命中した。その瞬間「勝った」との思いが頭をよぎった。それが魔物だった。5本目、あろうことか矢が今日初めての3点圏に落ちてしまった。


この時2位の人は満点、しかも今日初めての満点だという。結局二人が198点の同点となった。同点の場合は、第6→第1ラウンドの順で比較して得点が高いほうが勝ちとなるため、私は同点2位となった。


本大会は、夜の懇親会・温泉付きの宿泊大会である。懇親会では、旧交を温める人、新たに顔見知りになる人など、勝負を競った後にこうした懇親の場があることが今回の大会の楽しいところだ。やはり話題の中心は吹矢談義、そんな中で「集中すること」の話題が印象に残った。


何人かの人から「どうしたら集中できるのか?」と質問を受けた。私自身、今日の最後の矢が示すように、集中することの難しさを実感している。4本目までは淡々と吹いて、一つひとつの動作についてその時にやるべきことに集中することができていた。しかし、4本が命中した瞬間の「勝った」との雑念が、普段の"心持ち"を消してしまった。


「集中」とは、雑念がない「無の境地」ではないと思う。若い頃、座禅の道場に通ったことがある。その時に、「頭の中で1〜10までを何度も何度も繰り返し数えなさい」と教えられた。厳しい修練を積んだ高僧には「無」という境地があるかもしれないが、我々凡人は、つい上の空だったり他のことを考えていて、10を超えて13とか18とかずっと先まで数えてしまう。それが集中できていない状態なのだ。


「スラムダンク勝利学」では、『大事な1本の時に「するべき事」は、いつもどおりに吹くことであって、それを普段から実行していなければ、試合の緊張し緊迫した場面で「するべき事」に集中することなど出来るはずはない。』と指摘している。


基本動作について、協会では、例えば、6番目の「吹く」動作の説明には「一気に吹きます」としか書かれていない。しかしそれだけでは全く不十分で、吹く動作を更に細かく分解して、その一つひとつを頭の中で確認しながら動作を進める。「集中」とは、全ての基本動作について自分流のチェックリストを決めて、それを何回も何回も繰り返えして練習することで創り出す、雑念が入り込む余地がない状態だと思う。


しかし、常にそんなことを考えて練習しても、それでもできないのが「集中」の難しさでもある。


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