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人生の余り道  (時の足跡)

史実を追う旅     吉村昭著     文春文庫


作品執筆のきっかけや主人公の魅力、資料探しや調査の際のエピソード、作品への思い、作品には書かれなかった興味深い事実などが綴られている。これらのエッセイを通じて、筆者・吉村昭がどのように題材を探し、作品として仕上げていくかが見えてくる。


取り上げられているのは、「海の祭礼」 「闇を裂く道」  「破獄」 「陸奥爆沈」「長英逃亡」 「羆嵐」 「蜜蜂乱舞」「魚影の群れ」「逃亡」「幕府軍艦『回天』始末」 「桜田門外ノ変」など多くの作品が出てくる。吉村昭の著書は好んで読んでいるが、隠れたエピソードを知るにつけ、さらに読みたい気持ちにさせられる。


作品「破獄」では、4度も脱獄し殺人も犯した「昭和の脱獄王」とよばれた佐久間が服役中、佐久間の改心を読み取った刑務所長・鈴江は、各方面に熱心に働きかけて極めて難しい仮釈放を遂に実現した。54歳で仮出所した佐久間と鈴江の交流がしばらく続き、71歳で外出中に倒れ心不全で亡くなったことで物語が終る。


エッセイでは、取材に応じていなかった鈴江が、佐久間の死をきっかけに取材に応じた。その時に明らかになったことについて更に調査を重ね、出版後の文庫本の末尾3行を加筆訂正したこと、そして、鈴江の葬儀でのエピソードなどが語られており、このエッセイも本編に劣らず面白い。


零戦の生みの親である堀越二郎を取材して著した「零式戦闘機」について、堀越は、内容が正確でないので技術論文どうりに書くよう要求した。筆者は、修正には応じずに「小説家の文章は一行読んだだけでも、だれのものかわかるのです」と、小説家としての信念を述べた。堀越は、呆然としながら「そうですか、そういうものですか」と何度もうなずいたという。


筆者は、事実を正確に積み上げる作家との定評があり、記録文学、歴史文学に新境地を開いた第一人者であるが、現実に起きた事件などを小説にするときは、断片的な事実を小説家としての客観的な推論で補って物語を作り上げる小説家としての胸の内がよく表れている。


このあたりのことを本書では、『戦史小説は、資料は膨大だが事実にはあくまで忠実であることが求められる。歴史小説は、資料が少なくあたかも庭石のように点在し、空隙部分を埋めるという作業をしなければならない。たとえ小説であるとは言え、歴史という名を冠する小説だからこそ、空隙部分をこれ以上考えられないという解釈に基づいて埋めなければならない』と書いている。

2019.03.18読了

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