人生の余り道  (時の足跡)

破獄       吉村昭著    新潮文庫

あらすじ

明治40年青森で生まれた佐久間は、昭和10年に強盗殺人事件で逮捕され青森刑務所に収監されたが、翌11年針金で手製の合鍵を作って脱獄した。すぐに逮捕され、堅固な設備の東京・小菅刑務所に収監されたのち、太平洋戦争が切迫したため秋田刑務所に移された。


昭和17年戦争が激化、看守の勤務過重につけ込む佐久間の巧みな脅迫に負けて、看守は佐久間との面倒を避けた。その隙を突いて佐久間は3メートルの天井の窓を外して脱獄した。数か月後佐久間は東京の小菅刑務所看守長・蒲田宅に自首し、小菅に収監されることを望んだ。


空襲を避けるため脱獄不可能と言われた網走刑務所に収監された佐久間は、昭和19年に特製の手錠と監視窓のネジを味噌汁の塩分で腐食させて外し、予告通り最も厳しく扱った看守に復讐するためその当直日に、看守らの意表を突く方法で外壁を越えて脱獄した。


敗戦後、逃亡中の佐久間は再び殺人事件を起こして札幌刑務所に収監されたが、昭和22年厳重な監視を破ってまた脱獄した。4度も脱獄した佐久間を恐れた占領軍のO大尉は、東京の府中刑務所に移送を命じた。鈴江刑務所長は佐久間を徹底的に調べ上げた結果、特別扱いせずに"一人の囚人"として処遇した。


反抗的だった佐久間も徐々に軟化し、仲間とも打ち解けて模範囚として過ごして昭和36年(54歳)に仮出所となった。その後、日雇い労務者として過ごし、71歳でこの世を去った。


感 想

本書は、昭和の脱獄王・白鳥由栄をモデルとして、戦中・戦後の混乱した時代を背景に、超人的な記憶力・思考力と体力を駆使する受刑者と監視側の係官との息詰まる戦いを詳述した作品である。


網走を含め4回も脱獄した佐久間は、味噌汁の塩分で手錠を錆びさせたことで有名だが、それ以外にも看守の心理を巧みに突く言動や、高い塀を乗り越える驚異的な身体能力、1度見れば施設の配置・弱点を見抜くなど、どの手口も人間業とは思えない能力を発揮して脱獄を成功させている。


何よりも脱獄を繰り返す佐久間の執念がすごい。「刑期を全うすればもっと早くに出られたのに」と考えて、気が付いたことがある。著者は佐久間の心の動き・考えについて、佐久間自身に何も語らせていない。「極度に寒さを恐れた」という脱獄の理由も看守側の調査結果として書かれている。


佐久間は2回も殺人事件を起こしながら、その罪に対する贖罪は一切なく、寒さを恐れて暖かい刑務所を望み、刑務所の規則には従わず、厳しく注意されれば復讐のためその看守が当直の時に脱走して責任罰をとらせるなど、極めて自分中心の人間だ。著者は佐久間という"人間"にはあまり興味を持たなかったのだろう。


本作品のもう一つの主人公は"戦時の刑務行政"である。もしかしたら、著者にとってはこちらのほうが書きたかったテーマなのだと思った。食料の確保や空襲に備えた囚人疎開や脱獄予防策など、刑務所・看守たちが直面した問題と解決のために奮闘する様子が、著者独特の淡々とした筆法で書かれている。


食糧事情が逼迫すると、看守は一般国民と同じ1日当たり米麦が二合三勺の配給で空腹に喘いでいたが、囚人には規則通り六合(米4、麦6の割合)を給した、給するよう努力した。中にはその矛盾に耐え兼ねて囚人の食料を盗んで処罰された者もいたという。


その他、徴兵による看守不足で刑務所が極めて逼迫した状態で運営されていたこと、刑務所が空襲を受けて多くの犠牲者を出したこと、駐留米軍が介入して看守らの権威を否定したため各地の刑務所で反乱が頻発したこと等々、刑務所行政に関して本書で初めて知ることが多かった。


2017.06.07 読了

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