人生の余り道  (時の足跡)

破船         吉村昭著     新潮文庫

あらすじ

海に面した寒村、畑は狭く痩せ、海の恵みも空腹を癒すには不足だった。伊作の父は飢えから家族を守るため3年間の身売りに出た。しかし、そんな村にも数年に一度は途方もない恵みが手に入る。それは「お船様」がもたらす積み荷の米、織物、清酒、砂糖など、村人の稼ぎでは到底手にしえないものだった。


海が荒れる冬の夜、村人は前浜で夜通し塩焼き窯の火を焚く。実は、嵐に襲われた廻船をおびき寄せて座礁させて積み荷を奪うためだった。ある日、10歳の伊作も火焚きに加わったが、つらい仕事だった。「お船様」が来ぬまま1年が過ぎ、次の冬に再び窯に火を入れると待望の「お船様」が来た。生き残った船員を始末し、村人総出で積み荷を奪い平等に分配された。飢餓に苦しんだ村は一転して豊かになった。


そして翌年の1月、またも待望の「お船様」が来た。しかし積荷はなく、約20のあばただらけの老若男女の骸があっただけ。村人は一抹の不安を覚えたが、骸がまとう赤い布地の魅力には勝てず、剥ぎ取って配分した。数日後、村人たちは原因不明の高熱と発疹で次々と倒れ、1/3が死んだ。村は、生き残るため病歴のある多くの者を「山追い」で山中に放逐した。


伊作の家では、妹二人が死に、治ったものの体力の衰えた母と弟を「山追い」で失った。伊作だけが残った。春が訪れ、放心したような伊作に向かって山路を降りてくる一人の男があった。3年の身売りを生き抜いた父の姿だった。


感 想

著者・吉村昭には海を題材にした歴史小説が多く、後に本作品と似たテーマの波切村騒動を描いた「朱の丸御用船」が書かれ、その土地に根付いた風習に疑問をもたず、村の習慣に生きる人々を描いている。


本書は、閉鎖した貧しい寒村の、なんとも痛ましい物語である。食うことが人生のすべて、それさえも不足するため娘や一家の働き手を身売りするか、数年ごとの偶然の「お船様」がもたらす「恵み」に頼るしかない生活。筆者・吉村昭は、血なまぐさく、哀れで、そして村を挙げての犯罪を、良い悪いを断じることなく淡々とした簡潔な文章で表現し、読む者を引き付ける。


村人は死ぬと霊となって海に去り、再び嬰児となって元の村に戻ると信じられていた。だから村おさの命に従い動けない年寄りは「口減らし」され、病に侵されれば「村追い」されて死を受け入れる。全ては村が存続するための厳格な掟だった。「山追い」にあう伊作の母親が別れ際に見せる微笑みは、幸不幸を超えた慈悲と安堵感が溢れており胸を締め付ける。自分がいなくなれば代わりに先祖が戻ってくる。従容としたこの生き様に凛とした、潔ささえ感じる。豊かなこの日本の、僅か百数十年前までこのような寒村がいくつもあったのだと知り、引き締まる思いがする。


2年続けて「お船様」が来た時、村人は神仏の恵みと喜び沸き立ったが、得たものは赤い布で伝えられた疫病だった。紀元前から度々登場して人類に壊滅的打撃を及ぼした天然痘、日本でもあの奈良の大仏造営も天然痘の流行がきっかけだった。私が子供のころは、あばたが残った人を普通に見かけたが、日本は1955年、WHOは1980年根絶宣言を出し、人類は天然痘の脅威から逃れることに成功した。


ところが、天然痘の免疫持続力は5〜10年と言われ、現在世界中で免疫保有者はほとんどいない。そのため危険地域に派遣される人達には、冷凍して備蓄されている天然痘ワクチン株が投与されている。つい先日、北朝鮮の金正男氏がVXで殺された。今度は天然痘が生物兵器としてテロに使われないかとの新たな恐れが生じている。


2017.03.07 読了

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