A 人生の余り道    
人生の余り道  (時の足跡)

あなたを抱きしめる日まで

スタッフ

監督 : スティーヴン・フリアーズ

主演 : ジュディ・デンチ  (フィロミナ)

助演 : スティーヴ・クーガン  (マーティン)

      ソフィ・ケネディ・クラーク  (若き日のフィロミナ)

あらすじ

あなたを抱きしめる日まで

1952年アイルランド。行きずりの男性と一夜の恋に落ちた敬虔なカソリックの少女フィロミナは妊娠したため強引に修道院に入れられた上に、息子アンソニーが3歳になると無理やり里子として売られてしまう。50年後、人生最後の望みとして行方知れずとなった息子を探し始める。純真な少女のまま年を経たような信心深いフィロミナは、息子探しを手伝ってキャリアを挽回しようとする元エリート記者のマーティンと共に修道院を訪ねるが具体的なことはわからなかった。


そこで、二人はアンソニーが売られたアメリカに旅立つ。旅行でのフェロミナはマーティンの気持ちなど確かめずに一方的に自分の話したいことをしゃべる、運転中に菓子や飴を差し出すなど純真素朴な振舞いに、最初は冷ややかだったマーティンも次第にフェリミナに気持ちが和んでゆく。


アンソニーを探し始めて間もなくフィロミナとマーティンは、彼がレーガン大統領の最高法律顧問という地位に上り詰めたものの、既に死んでしまったことを知る。アンソニーに会う機会を失ったフィロミナは、フィロミナが息子を想ったと同じように息子も母を想っていたかを確かめるためその知人たちに会うことにする。


アンソニーがゲイであったことも、エイズで死んだことも、フェロミナはあたかも予期していた如く自然に受け入れた。しかし、最も知りたかった「母への想い」については否定的な情報しかなかったが、最後にアンソニーが同棲していた友人に会った時に、アンソニーがかの修道院を訪ねて本人の強い希望でそこに葬られたことを知る。

事実は小説よりも奇なり

この映画は実話を基にしている。アイルランドはカソリックの国、未婚の母は一族の恥だとしてその事実を隠すため修道院に送られ、生まれた子どもは闇から闇へと葬られた。行きずりの男との一夜は、フェロミナに過酷な運命を与えた。修道院は未婚の母たちには無償で過酷な肉体労働を強要した上に、更に残酷なのは、子どもたちが3歳になると里子として売り払ってしまった。


映画で描かれた事実は遠い昔ではない。フェロミナが我が子を奪われたのが1955年で、しかも彼女は映画の封切りに合わせて来日する予定(中止)だったほどの最近の出来事だったことが驚きだ。


主演のジュディ・デンチは、英国の女王や、007シリーズでMI6のトップも演じるほどの存在感のある名女優だが、この映画では一人では旅行にも行けない話好きの田舎のおばあちゃんを好演している。マーティン役のスティーブ・クーガンもコメディ出身の人気俳優、とぼけた味を出しつつ時折笑いを交えて好演している。宗教が絡む大変取り扱いが難しいテーマであるにもかかわらず、観客をして何度もクスリと笑わせるのはさすがだと感じた。

修道院の圧巻のラストシーン

アメリカ滞在中に二人はアンソニーの友人たちに会うが、フェロミナが最も知りたかった「母への想い」については、アンソニーは生前に周囲には何も発言していなかったことを知る。失意のまま帰国しようとするが、最後に訪れた友人(ゲイ)のビデオには驚くべき事実が写されていた。アンソニーは死の間際にかの修道院を訪ねていた。そしてシスターからは「母親から捨てられた」と告げられていたが、それでもアンソニーは自らの強い希望で修道院の庭の片隅に埋められていたのだ。フェロミナは、アンソニーが祖国を愛し母を想っていたことを知る。


二人は再びアイルランドに戻った。修道院からは火事で記録が失われたと聞かされていたが、マーティンは地元の居酒屋で、火事があったのではなく修道院が記録を焼いたことを知った。修道院は、フェロミナには「記録が焼けた」、息子には「母があなたを捨てた」と嘘をついていたのだ。


怒り狂うマーティンに対して、シスターは「淫らな女が自ら招いたこと」と動じない。ところがフェロミナはシスターに向かって「あなたを赦します」と一言。自分も50年間罪の意識にさいなまれて生きて来たフェロミナのこの一言に、頑ななシスターの心が折れた。


この映画はカソリックの罪の部分をテーマにしているが、決して宗教映画ではない。シスターの信仰への威厳とフェロミナの人間としての尊厳を自然な形で対比させつつ、ジュディ・デンチの素晴らしい演技により、味わいの深い人間ドラマとして成り立っている。

理解が難しかった点

フェロミナはマーティンが記事にすることに許可を与えていなかったが、修道院でシスターに「あなたを赦します」と言って教会を出てすぐにマーティンが記事を公開することに同意する。記事を公開することは即ちカトリック教会を糾弾することだから、シスターを許したことにはならないのだが-------。この点のフェロミナの想い、心の動きが理解しにくかった。


実は映画では、修道院に行く直前にフェロミナが小さな町の教会に立ち寄る場面が描かれている。フェロミナは教会で懺悔しようとしたが、牧師に促されたものの涙を流しただけで何も言わずに教会を立ち去った。この時フェロミナは何を告白したかったのか。そしてなぜ告白せずに教会を去ったのか?


この時フェロミナは、自分が受けた仕打ちを告白しようとしたのか、あるいは公表するための許しを得るために懺悔しようとしたのか、宗教的な生活習慣のない私には理解が難いことだが、いずれにしても教会に頼ることでは多くの少女とその子供達が受けた悲劇を救うことにはならないと考えて、何も言わずに教会を出たのだろう。私としてはこの場面が、生涯を信仰に捧げたシスターは赦すがカソリック教会は告発することを、自らの意志で決めたことへの伏線になっているように思う。


もう一つの伏線。マーティンはシスターに「絶対に許さない」と言い置いた後、修道院のグッズ売り場で小さな女神の像を買ってフェロミナに渡す。フェロミナはその像をアンソニーの墓に供える。実は、旅の初めにフェロミナが安全を願って自分が大切にしていたお守りをバックミラーに掛けた時、無神論者のマーティンはその姿を冷ややかな目で見ていた。そのマーティンが旅の最後にフェロミナとアンソニーのために女神の像を贈った。フェロミナとマーティンの心が通じ合った瞬間だと感じた。フェロミナがマーティンに記事の公開を赦すもう一つの伏線となっていると思う。(勝手な推測です。)

ベタな邦題

原題はPHILOMENA であるが、邦題の「あなたを抱きしめる日まで」では内容が全くわからない。悩んだ末の邦題だとは思うが、これではお涙頂戴のメロドラマを想像してしまう。映画広告でこの題名を知った時には見に行くつもりはなかったが、家内から「内容は全然違う」と聞いて思い直して見に行った。見て良かった。すばらしい映画だった。この邦題では、宗教の暗部を扱いながら、この映画の持つ軽い洒落たタッチが全く伝わっていない。


以前も同じ例があった。フランス映画「最強の二人」。アクション映画と思いきや、内容は介護を要する金持ちと天真爛漫なヘルパーの絆を描いた素晴らしい作品だった。


2014.04.16観賞

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