人生の余り道  (吹矢を楽しむ)

第8回 青柳杯に参加して


今度こそはと臨んだ青柳杯であったが、全く期待外れの成績に終わってしまった。いつも感じていることだが、吹矢は矢を飛ばす動力そのものを体で作り出しているので、とても繊細で、常に同じような成果を出すのは難しい。それにしても不甲斐ない結果だったので、現状をよく反省して、初心に戻って練習をし直さなければならない。


視力の衰え

おおよそ1年ほど前から急激に視力が衰えてきた。併せて老人性の乱視も進行しているので的がとても見えにくくなっている。的紙の外側と1点圏の端の間隔は約5ミリ(下の写真の赤1と2の間)であり、以前はその中間を狙っていた。つまり、10メートル先の的の2.5ミリの差を識別して狙っていた。


視力が衰えてからは、的をしっかり見ることをあきらめて背景としてボーと見る程度にして、筒先との位置関係を感覚的に判断していたが、いよいよ見えなくなってきたので1か月ほど前に眼鏡を作った。以前ほどではないがかなりよく見えるようになったが、的がよく見えることによって逆に的に意識が移ってしまい、集中力が分散しているように感じている。


狙いと吹く力が定まらない

狙い方

的と狙う位置の関係

写真は、的と構えた時の筒先の位置関係を表したものである。

(的は両目で狙うよう奨励されているが、私の場合は左目が乱視なので、両目を開いているものの、右目に意識を集中して狙っているので写真のように表現している。)


同じ距離なのになぜ狙いが異なるのかはわからないが、家の練習では青、体育館や公民館では赤のように狙っている。家では、練習すればするほどよく当たるようになっているが、それを競技会などの他の場所で直接生かすことができていない。


今回の青柳杯では、これまでの経験で当たるはずのBの位置で狙ったが、第一ラウンドの矢が2本続けて左に当たった。更に右を狙うようにしたが、それでも中心より左に当たる矢が多かった。上下についてはとんでもない所に飛んだ不期矢もあったが、全体的には下方に当たることが多かった。原因は、吹く力が弱かった、というよりも吹く力が一定していなかったということであろう。


ストレス(意識過剰)

これまでの競技会などでは、緊張感が一種の心地良さになって集中力が高まることにつながっていたが、最近は手の平に大量の汗をかくようになっているので、気持ち良さではなくて過剰な緊張感になっている。初期の頃のような「虚心坦懐」といった心持ちは失われてしまった。的の中心を外した時の後ろの人の「ため息」が聞こえると、とても動揺してしまう。常に他人の目が気になり、背後で見る人をプレッシャーとして感じるようになっている。


今回の青柳杯では、第3ラウンドの時、まだ使い慣れていない眼鏡を忘れたのでそのまま吹いた。第4ラウンドでは眼鏡を掛けて吹いたが、終わった時知らない人が近寄ってきて「先ほどは眼鏡を掛けていなかったけど、何故ですか」と問いかけてきた。そんなことまで見られているのかと驚いたが、皆さんがこうした競技会を勉強の機会だと考えているので当然のことなのだろう。


対応策

探せばいろいろ問題点が見つかるが、一つひとつ直そうとしてもモグラ叩きのようになってしまい、かえって原点を見失ってしまう恐れがある。自分自身で考えあるいは関係者から指摘を受けて、最近になって動作や意識を変えた点がいくつかある。1年前までは良く当たっていたのだから、一旦ここで以前の状態に戻して、初心に帰ってやり直そう。「基本動作」の観点からは不具合なこともあるが、一旦は元の自己流の状態に戻して再確認した上で、その後に「基本動作」に合うよう慎重に再修正し直せばよい。


もう一つは、気持ちの持ち方のこと。この年になってまだ「欲」や「色気」にとらわれているのかと思うとやり切れないが、それも生身の人間として止むを得ないこと。無理せずにありのままの姿を受け入れて、何とか納めるところを探さなければならない。


更にもう一つ。最近つとに感じるようになっている、加齢による身体的変化への対応を適切にしなければならない。即ち、視力の衰えに対しては、眼鏡の使用に慣れるよう練習を積むこと。腹筋が弱って、吹く息が弱くなったり一定の力で吹き続けることが難しくなっていることに対しては、腹筋の瞬発力を一定に維持できるようトレーニングを強化すること。


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