人生の余り道  (時の足跡)

輪違屋糸里(下)   浅田次郎著    文春文庫

あらすじ

会津公の命を受けた土方は、剣の使い手揃いの芹沢一派を斃す方策に苦慮していた。そんな時、大和屋焼き討ちで進退極まった芹沢の心中を忖度した新見は、水戸藩士である芹沢の実兄と図って、自分が水戸藩の手に落ちることで芹沢も水戸藩に引き取られるよう算段した。しかし、事情を知らない近藤は芹沢を渡すことを強硬に拒否し、新見の目論見は失敗した。


水戸藩から新見を引き取ることになった土方はその帰りに新見に腹を斬れと迫り、永倉新八に介錯させて芹沢派の一角を排除した。警戒する芹沢一派に対しては酒宴で警戒心を解いて、その隙を突いて実行することにし、土方は糸里と吉栄に協力させて眠り薬を盛らせることにした。


島原で盛り上がった後八木邸で飲み直すことになったが、そこに芹沢の愛人・お梅が加わり、糸里と吉栄は薬入りの酒を勧めた後にそれぞれ平間と平山と同衾した。殺戮が行われ、全てが終わった時、土方は口封じのため糸里らを殺そうとした。この事態を予期していた糸里は、吉栄もお腹の子も殺してはならないと決心し、土方に挑み危機を脱した。


後日、糸里は新選組の面々と共に会津公の前に呼び出された。糸里は吉栄とその子の行く末を願ったのち、会津公の「土方と夫婦になるのか」との問に対して、「君がため 惜しからざらむ身なれども 咲くが誉や 五位の桜木」と返した。芸妓を貫く糸里の意を察した会津公からは「桜木太夫」と名乗るよう賜った。糸里は、全ての戦いを成し遂げた。


会津公の配慮で小浜藩の浄蓮院に預けられた吉栄は"ゆき"と名乗って女児を生み、名を"いと"と付けた。いとは命を救ってくれた糸里の幼名であった。周囲の尼僧は、いとを里子に出してゆき自身は出家するものと思っていたが、ゆきは殺してしまった平山に代わって自らの手でいとを育てることに決めていた。


感 想

本書ではこれまでとは異なる芹沢鴨像が描かれている。普段は壬生の子供たちに剣術や絵を教えたり、草花を愛で村の行事を手伝うなど、酒が入らないときは常識的な人間であったという。そして、国を思う気持ちゆえに尽忠報国の志を貫き通し、皮肉にもそのことで自らが追い込まれてゆく魅力的な人物に描かれている。


女性目線で書かれた本書のもう一つの見所、男と女の戦いでは、芸妓や屯所の女房らの、隊士らに負けずに凛として生きる姿が描かれている。表題にもなっている糸里にとってのクライマックスは二つある。

@ 芹沢暗殺の直後、殺そうとする土方に向けて放つ言葉

A 会津公の問いに応える糸里の和歌と、それを見事にくみ上げた公の采配


どの時代でも陰で何らかの影響を及ぼしつつ生きた女性達がいたはずである。維新後、かつての志士が、京の太夫であり吉原の花魁であった人を夫人に迎えたことはよく知られている。世に語り継がれている新選組を別の視点から描いてみるとこうなる的な、著者のユーモアを感じる。


吉栄があっさり裏切って愛する男・平山に睡眠薬を盛ったことが、最初は理解できなかった。しかし、その時断れば策が漏れるのを恐れる土方に、自分と愛の結晶である子の命が絶たれる。吉栄としては、子の命を救うためのギリギリの選択だったのだろう。だからこそ、会津公の配慮で高貴な出自の姫として小浜藩に預けられたのに、その身分に安住することを蹴って、平山の代わりにいとを自分の手で育てることにしたのだろう。



2017.07.26 読了

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