人生の余り道  (時の足跡)

氷壁   井上靖著    新潮文庫

あらすじ

新鋭登山家の魚津恭太は、昭和31年の始めに親友の小坂乙彦と前穂高を登る計画を立てた。その山行の直前に小坂から、一夜を共にした人妻の矢代美那子が忘れられずに苦しんでいる、との告白を受けた。魚津は一抹の不安を抱きつつも穂高の氷壁を攻めたが、吹雪に見舞われて頂上の直前で二人を結んでいたナイロンザイルが切れて小坂は滑落した。小坂は見つからず、捜索は雪解け後に持ち越されることになった。


世間では「ナイロンザイルは切れたか」それとも「切ったのか」と波紋を呼び、魚津はその渦に巻き込まれていく。美那子は自分が原因で小坂が自殺したとの疑念を持ったが、魚津が強く否定したことを自分に対する優しい心使いだと思った。ザイル切断の原因究明のため性能実験をすることになり、それを美那子の夫・八代教之助が担当することになった。


実験ではザイルは切れなかった。新聞はこの結果を書き立て、世間の見方は魚津を窮地に追い込んだ。夫がその原因を作ったと考える美那子は、次第に魚津に対する想いを深めていった。一方、小坂の妹・かおるは事件をとおして魚津に対する愛を深めた。ある時、かおるの魚津に対する愛を察した美那子は、かおるから魚津を奪いたいとの欲望が頭をもたげた。


魚津は、雪解けを待って山の仲間と共に穂高に入り、切れたザイルを体に巻いた小坂を発見した。遺体は検死ののち荼毘にふされた。荼毘の火が消えた時かおるは魚津に愛を告白した。魚津はかおるの告白を受けながらも、自分の心中には美那子への想いがあることを意識していた。


持ち帰ったザイルの切断面を確認した結果、切ったのではなく岩で擦れたショックによって切れたことが明らかになった。魚津は新聞が取り上げることを望んだが、記者は「ニュースとしてはもう古い」としてこの件を取り上げることはなかった。


魚津は、美那子の幻影を絶つためかおるを穂高に連れてゆくことにし、難しい経路を選んでその先の麓にかおるを待たせた。魚津は絶え間ない落石に危険を悟ったが、かおるに近づくため敢えて進み、落石に打たれて生涯を閉じた。魚津の遭難は、世間ではザイル事件で苦しい立場にあった魚津の自殺、あるいは自殺的行動だと受け取られた。


感 想

1955年に穂高で起きた、当時出始めのナイロンザイルが切れて死者が出た事件にヒントを得て書かれた作品である。新聞に連載されて話題になり、映画化もされて著者・井上靖を小説家として不動のものにした作品と言われている。本格的な山岳小説としての期待をもって読み始めたが、600頁を超える大部の過半が男女関係とそれにまつわる心理描写で、期待とは異なる内容であった。


作品の始めで「ザイル切断事件」が起き、あとはほぼ終末までロープが切れた、切ったの堂々巡りで、最終的に原因究明のためには滑落死した小坂のロープを回収するしかないとの展開になった。しかし、ロープは小坂と魚津を結んでいたもの、小坂の遺体収容を待たずとも生還した魚津のロープ切断面を調べれば済むことではないか。この点がどうしても理解できなかった。


また、ナイロンザイルの品質問題について、最後に何か進展があるかとずっと期待して読み進めたが、ほとんど踏み込んでいないのが拍子抜けした。当時は、この種の滑落事件が何件も起きたので、ナイロンザイルは切れると主張する研究者・登山家に対して、日本山岳会は認めなかったので、筆者としては書き方に限界があったかもしれない。しかし、本作品全体の流れからすれば歯がゆい思いがする。

※ナイロンザイル事件については、Wikipediaに詳しく書かれている。


美那子という女性は何だったのだろうか? 美那子は裕福に暮らしながら小坂と一夜を共にし、その後は小坂を遠ざけた。かおるが魚津を愛していると察すると今度はかおるから魚津を奪おうとする。一方、魚津にとって美那子は親友・小坂を苦しめた人妻なのに、かおるから愛を告白されるとなぜか突然に美那子への愛を意識した。その愛を振り払おうとして、魚津は山で遭難死を遂げる。うーーーん?


本作品で日本芸術院賞を、後に文化勲章も受賞された高名な作家の小説に対して、こうした否定的な感想ばかりで、自分自身の理解力がおかしいのかと思ってしまい、なんとも後味の悪い作品だった。


2017.07.10 読了

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