人生の余り道  (時の足跡)

ポーツマスの旗    吉村 昭著     (新潮文庫)


あらすじ

三国干渉に続いて極東進出を露わにするロシアに対して、ロシアの朝鮮進出を脅威と感じる日本は、国家の存亡をかけて戦争に踏み切った。旅順攻略など陸上戦闘で勝利し、日本海海戦でも圧倒的勝利を収めたものの、国家財政の破たんと戦力の限界を知る政府、軍首脳は一刻も早い戦争の終結を望んでいた。一方戦勝に沸く国民は巨額の賠償と領土の割譲を求めた。


アメリカ大統領ルーズベルトの仲介で、日本側全権小村寿太郎はロシア側の全権ウィッテとポーツマスで講和条件を巡って緊迫した駆け引きを戦った。ロシアは賠償金も領土割譲も決して認めず、戦争続行をも辞さないとの強硬姿勢のため交渉は難航し、遂に講和決裂の危機に瀕した。ホテルもチェックアウトし、帰国して戦争継続準備に取りかかるはずだったその日、急転直下の劇的な講和条約締結に至った。


しかし、賠償金と日本の占領下にある樺太北部の放棄は国民の憤激を呼び、大暴動へと発展した。日本に帰った小村寿太郎を待っていたのは、暴徒による小村邸への投石と妻が精神的に病む家庭破壊であり、自らもまた病魔に苦しんだ。そして講和条約の後始末に奔走し、条約締結僅か6年後に精魂使い果たして56歳の若さで病没、この時市内に弔旗を掲げる家はなかった。


感 想

高校では日本史と世界史を選択したが、ポーツマス条約について学んだことは、日露戦争を終わらせるための講和条約で、日本側の代表は小村寿太郎、樺太を半分領有したが賠償金を取ることができず、日比谷焼打ちをはじめ日本各地で騒擾事件が起きた、程度の知識であった。しかし、この条約締結までの日露代表者のやりとりが、こんなにエキサイトなものだったとは。「ニコライ遭難」「海の史劇」と本書「ポーツマスの旗」は、吉村昭の明治・ロシアもの三部作といわれている。本書を読むと日本はロシアに戦争で勝ったというよりも、戦争をこれ以上続けられないぎりぎりのところで講和に持ち込んだということがよくわかる。


政府、軍首脳、更には天皇の意を戴してポーツマス条約を締結した小村寿太郎を待っていたのは、国民の、メディアの反発と暴力であった。その原因について、筆者吉村昭は「人々がそのような感情をいだいたのは、政府が実情をかたく秘していたことに原因の全てがあった。陸軍は大増強されたロシア軍に勝利する確率が少なく、また軍費膨張で日本の財政が破たんの瀬戸際にあることを国民に知らせなかった。その理由はただ一つ、もし実情を公表すれば、ロシアの主戦派は勢いを強め、講和会議に応ずるはずがない。たとえ講和会議が開催されたとしても、ロシア側は日本の要求を拒否し、逆に不当な要求を押し付けてくるにちがいなかった。」と書いている。


新興国日本は人的物的資源に乏しく長期戦に耐えられないことは政治家も軍もよく承知していた。その分外交の役割は大きく、開戦と同時に戦争終結に向けて各国に張り巡らした情報網を活用した。日露戦争は、情報に弱いといわれる日本で最も情報・諜報活動が成功裏に行われた時期であろう。


当然ロシア側もこうした活動を行っており、日本に匹敵する大成果を上げていた。 少なくとも明治18年以降の日本外務省の暗号書を手に入れていたことが、明治38年6月に金銭トラブルが原因でロシア諜報員が密告してきたことで判明した。驚愕した小村寿太郎は、ポーツマス講和会議では特別の暗号書を作成して臨んだ。しかし、日本の開戦の詔勅など戦争に関するすべての機密電報がロシア側に解読されて、国情は筒抜けであった。


日本政府、軍首脳が最も恐れて「ロシアに知られないために、日本国民にも知らさない」配慮は全く意味を持たなかったといえる。歴史に「もし」は意味のないことは承知しているが、もし政府・軍が戦争継続が困難なことを国民に説明していたならば、マスコミの論調も国民の不満・反感も軽減されて、戒厳令を発令するほどの騒擾事態は起こらず、小村寿太郎への危害もなかったのではないか。そして、更に戦後も実状を隠し続けたことによって、国内の不満を国外に向けるという常套的な外交政策を取らざるを得なくなった。情報は、「何時か・何処かで」「ばれる・漏れる」もの、こうした教訓は現在でも生きていると思うが、同じ過ちを繰り返してはいないだろうか。


朝鮮への影響力を巡る日清戦争に勝利したことは、日本の安全と朝鮮半島における利権を得たが、列強の「3国干渉」を誘発して新たな不安定要素を生んだ。そして10年後の日露戦争でロシアの脅威を除いて日本は目的を達したが、西欧列強は急激に国力を強めた日本を新たな脅威として受け取った。大国ロシアに敢然と立ち向かった日本に対して好意的だったアメリカの世論は急速に冷え、協力的だった大統領ルーズベルトも、いずれ日本はアメリカの植民地であるフィリピンに侵攻するだろうと疑って海軍力強化に取り組み、やがて太平洋戦争につながっていく。


1つの脅威を取り除くことは、そのこと自体が新たな不安定を生む。複雑な利害関係で成り立つ国際関係は当時も今も全く変わることはない。難しいことだとつくづく思う。


2015.2.27 読了

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