人生の余り道  (時の足跡)

クワイ河に虹をかけた男

スタッフ

監  督 : 満田康弘

製  作 : KSB瀬戸内海放送

映画の舞台となった戦場

タイービルマ地図

ミッドウェー海戦に敗れ海上輸送が困難になった日本軍は、ビルマ・インド方面への陸上補給路を確保するため、1942年7月タイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道の建設に着手した。建設工事には、イギリス、オーストラリア、オランダなどの連合国捕虜6万人余りと25万人以上のアジア人労務者を動員して、415kmの難ルートをわずか1年3カ月余りで完成させたが、食糧や医薬品の不足や伝染病の蔓延などの過酷な労働のため、連合国軍捕虜1万3千人、労務者5〜6万人の犠牲者を出した。


映画「クワイ河に虹をかけた男」

本作品は、元捕虜や元アジア人労務者に対する贖罪、タイの留学生や奨学生への献身、戦後処理を放置してきた日本政府への怒りや次世代へのメッセージなど、元陸軍通訳・永瀬隆が様々な葛藤を抱えながら夫人とともに歩んだ、1994年の82回目のタイ巡礼以降その死に至るまでの長い旅路のドキュメンタリーである。

監督は、晩年の永瀬を20年に渡って追い続けたKSB瀬戸内海放送の記者・満田康弘である。

永瀬隆の人となり

ドキュメンタリーの主人公である永瀬隆は、青山学院英文科を卒業の後、陸軍の通訳として泰緬鉄道のタイ側の憲兵分隊に勤務した。戦後間もなく連合国が派遣した墓地捜索隊に同行して悲劇の全容を目の当たりにし、この経験が永瀬を犠牲者の慰霊と贖罪に駆り立てた。海外渡航が自由化された1964年以降、妻・佳子と二人三脚で巡礼を開始し、1976年には連合軍元捕虜との和解事業を成功させるなど、日本政府がやらない戦後処理を生涯にわたり続けた。


タイ政府は敗戦後に復員する12万人の日本軍将兵全員に、連合軍に内密に飯ごう1杯の米と中蓋1杯の砂糖を支給してくれた。この恩に報いるため永瀬は自宅にタイ人留学生を受け入れ、無医村への移動診療や若者への奨学金授与を行っていたが、1986年にはクワイ河平和基金を設立して毎年百人以上に奨学金を贈り続けた。永瀬の贖罪行脚の陰には常に佳子が寄り添っており、タイの人たちは永瀬夫妻を「お父さん」「お母さん」と慕っていた。2009年佳子夫人が亡くなると、気力をなくした永瀬は2年後に夫人の後を追うかのように93歳で亡くなった。

印象に残った映画の場面

永瀬夫妻を取材して、ミャンマーとの国境に近い最大の難所の一つヘルファイヤー・パス(地獄の業火峠)に行った時、イギリス人の元捕虜をBBCが取材している場面に遭遇した。取材陣が日本人であると知ると、イギリス人元捕虜の一人は凍るような冷たい目でにらみつけ、別の一人はぷいと背を向けてしまう。もう一人の迫力があって最も強硬そうに見える人は「来るな」とばかりに手を振り上げた。このヘルファイヤー・パスは戦後、連合国側が「枕木1本に1人の死者」が出たと主張するほどの過酷な現場だったという。凍るような元捕虜の目がそれを物語っていた。


永瀬が語る。「それが元捕虜の怨念だろう。それよりも大事なことは、捕虜たちがどれほどの恨みを抱いて死んでいったのか、元捕虜や同世代の人たちが今でもどれほどの憎しみを抱いて日本を見ているのか、多くの日本人は知らないということなんだ」。そして更に語る「日本は戦争に負けたことをよいことに何もしなかった。戦争で日本軍が犯した罪にも目をつぶった。日本の恥、日本人として放っておけない。」


何年か経って再びヘルファイヤー・パスを取材した時、多くの観光客が訪れている中に若い男女のグループがとても冷たい目で永瀬たちを見ている。声をかけられる雰囲気ではない。それがチェコ人たちだったと後でわかったが、永瀬は元捕虜に睨まれるより怖いという。「元捕虜が恨むのは当たり前だが、それ以外の国の人が毎日毎日おおぜい来て、いかに日本人がひどいことをしたかということが知らされるわけでしょう。日本は何かをしないとだめだと思うな。」


ジャワから徴用された労務者のグンタオさん、戦後50年経って同郷の仲間も現地で結婚した夫人も皆死んでただ一人になった。永瀬の援助を受けて故郷のジャワに戻ることになった時、「新しい人生を始めるのに、遅すぎることはない」と静かな表情で言っていた。恨みも憎しみも超越したこの言葉、ここに至るまでにはきっと永瀬夫妻の長い長い贖罪と支援があったのだろう。

イギリスの元捕虜の会会長の発言

・日本政府はいまだかつて一度も謝罪 apologize していない。遺憾 regret はこちらが言う言葉だ。日本政府の考えていることは見え見えだ。もう少し時間が経てば、我々のようなうるさい人間がいなくなることを待っているのだろう。

・日本軍は我々連合国の捕虜に対して、赤十字が送った食料も医薬品も与えず過酷な環境に放置して、戦陣訓で「捕虜になるより死を選ぶ」と教えられた日本兵と同じように、「天皇」のため死ぬことを要求した。

その他の断片的な言葉

・日本と日本人は大好きだが、日本政府を見ると、日本人全体を誤解してしまう。

・我々は、わずかな生き残りになってしまったが、あの時のことは" We will never never never never forget "。

・永瀬さんは、私(元捕虜)が握手できるただ一人の日本人です。

・"Keep your chin up"(元気を出して頑張れ)。 拷問を受けた捕虜がバンコクの監獄に送られる時に、憲兵に隠れて永瀬がかけた言葉で、彼にとってその後のひどい仕打ちに耐える力になったという。

感 想

タイをはじめ東南アジアは観光地として大変人気があり、本作品にも多くの欧米の観光客の姿が映っている。中国人の訪日観光客が急増して約500万人(2015年)といわれているが、年間1億人(商用などを含む)の中国の海外渡航者からすれば、わずか5%でしかない。中国人にとって人気の海外旅行先は、1位:香港 2位:プーケット(タイ)、3位:台湾 4位:バンコク(タイ) 5位:パリ(フランス)などという。こうした事情は中国以外の他の国々でも同じで、日本に来る人以上の観光客がタイなどの東南アジアに来て、こうした戦跡を訪れている。


泰緬鉄道が「戦場にかける橋」や「レイルウェイ 運命の旅路」などとして映画化されたことはよく知られているが、更に、イギリスだけでも元捕虜の体験記がベストセラーを含め300冊以上と、その他に数えきれないくらいの手記が書かれ、政府間の”友好”とは異なる民間レベルでは静かだが絶え間なく日本の残虐・非道が訴えられているという。


日本は今、2020年の東京オリンピックを目指して「おもてなし」で日本の良さを世界中にアッピールしているにも拘わらず、その同じ時に、かつての戦場を通して日本を許さない人々がアジア諸国に限らず世界中に広がっている事実は、極めて矛盾に満ちたものだと感じる。永瀬氏が言っているように、日本人だけがそれに気づいていないことから、よけいにそう思う。


2016.10.16観賞

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