人生の余り道  (時の足跡)

スポットライト

スタッフ

監督/脚本 : トム・マッカーシー

脚   本 : ジョシュ・シンガー

撮影監督  : マサノブ・タカヤナギ

キャスト  : マーティ・バロン : リーブ・シュレイバー

   ロビー  : マイケル・キートン

あらすじ

スポットライト

2001年の夏、ボストン・グローブ紙に新しい編集局長のマーティ・バロンが着任した。前任地のマイアミからやってきたバロンは最初の会議で、かつてボストン市内で起きた神父による性的虐待事件を詳しく掘り下げる方針を打ち出した。カソリック教徒の多いボストンでは教会の権威は絶大で誰もがタブー視する問題であったが、バロンにはカソリック教会の権威にひるむ様子は全くなかった。


担当を命じられたのは、独自の極秘調査に基づく特集記事欄「スポットライト」を手がける4人の記者たち。デスクのロビーをリーダーとするチームは、事件の被害者や弁護士らへの地道な取材を積み重ねて行くうちに、大勢の神父が同様の罪を犯しているおぞましい実態と、その背後に教会の隠蔽システムが存在する疑惑を突き止めた。


チームは遂に事件の全貌を暴き出すことに成功したが、他紙を出し抜いて「スポットライト」に掲載する矢先に、9.11同時多発テロが発生したため一時中断を余儀なくされてしまった。そして漸く翌年の2002年1月、アメリカ東部の新聞「ボストン・グローブ」の一面に"カトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきた衝撃のスキャンダル記事"が掲載され、全米を更には全世界を震撼させた。


カソリック教徒からの大反発を予想した「スポットライト」チームは、クレーム対処の態勢をとっていたが、寄せられた大量の電話はほとんどが元被害者などからの教会を非難・告発するものだった。その結果、全米約250の教区の神父が約1,000人以上の児童に対して性的虐待を繰り返していたことが明らかになった。

感 想

2002年1月に「ボストン・グローブ」紙に掲載された衝撃的な記事の発端は、その前年の夏に着任した新編集局長のバロンが、20年以上も前に同じ「ボストン・グローブ」が報道した神父による性的虐待事件を追及するよう指示したことで始まる。


「ボストン・グローブ」紙の「スポットライト」といえば調査報道として定評のある部門で、数々のスクープを打ち出していた。常にスクープを求めていた「スポットライト」の記者でさえ神父の"犯罪"を見逃していたのに、ボストンで勤務したことのないバロンは、何かの機会にこれを知って問題意識を持ち続けていたのだろう。組織が動くためにいかにトップの意志が重要であるかを示していると思う。


映画の後半に出てくるが、記者が教会側に立つ弁護士に、虐待した神父の名前を明らかにするよう度々求めた時に、その弁護士は「ボストン・グローブには20年以上も前に通報したが、無視された」と答えた。そして、その時通報を受けたのが、当時は駆け出しではあったが「スポットライト」の現在のデスクであるロビーだった。これだけ重大な事件だが、ボストン市民の"身内"にとってはあまりに身近すぎてそのことに気付かないのだ。映画では触れられていなかったが、よそ者のバロンがなぜこの犯罪に問題意識を持ったのか、そこが知りたかったが----。


他社に嗅ぎつけられる前にスクープを載せたいが、取材拒否にあって核心に迫ることができない焦りが頂点に達した時、"問題を起こした神父は異動させられたらしい"ことに気付いたチームは、図書館の教会関係文書を洗って約90人の神父を割り出した。情報の世界では「必要な情報の90%以上は公刊資料から得られる」といわれているが、正にこの格言が証明されるような事実であった。


「ボストン・グローブ」が記事を掲載しようとしたその時に、9.11同時発テロが発生し、これをきっかけにアメリカとアルカイダとの一種の宗教戦争が始まった。アメリカ国中が"戦争"一色になっている時に、自国の汚点を暴露する記事が潰されずに報道ができたアメリカという国は、その点においてはすばらしい国だと思う。恐らく日本をはじめ多くの国では、こうはできなかっただろう。


私たち日本人には教会や神父の権威・権力は理解できないところがあるが、「間違っていることは間違っている」と表明できる社会でありたい、ただその一心で、権力と対峙しながらも記者魂を貫く姿が共感できた。派手なアクション場面もなく映画としては地味な画面が続くが、深く考えさせられる良い映画だった。これまで見た映画をABCにランク付けすれば、確実にAクラスになる映画である。


2016.04.23観賞

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