人生の余り道  (時の足跡)

合  葬

スタッフ

監  督 : 小林達夫

原  作 : 杉浦日向子

キャスト : 秋津極 : 柳楽優弥

福原悌二郎 : 岡山天音

吉森柾之助 : 瀬戸康史

森篤之進  : オダギリジョー

あらすじ

合葬

慶応4年(1868)4月10日夜、旗本笠井家の跡取り養子・柾之助は突然養父を酒席での争いで喪った。養母と養祖母に仇討ちを強要され、養母らの本心が持参金付きの自分を厄介払いして、新しい養子を迎えようとしていることに気づいた柾之助はやむなく笠井家を出た。そして翌日、江戸城が無血開城となり、江戸府内は新政府軍の占領下となった。


秋津極(きわむ)は旗本福原家を訪れて砂世との婚約解消を申し入れるが、長崎の留学から帰宅していた兄悌二郎は納得せず、極の後を追い激しく責める。そんな時、町なかで偶然にも柾之助に行きあう。三人は幼友達。問い詰められた極は彰義隊の一員として上野に籠もることを告げるが、悌二郎は慶喜が上野を去った以上彰義隊の大義は失われたと説くものの極の耳には届かない。一方、行き場のない柾之助は、極につられるようにして彰義隊に加わる。


悌二郎は、彰義隊幹部の森篤之進に面会し、極の除隊を懇願する。穏健派の森は戦争回避のため日夜努力していたが、血気に逸る若い隊士たちを抑えきれずにいた。江戸市中で新政府兵とのいざこざが頻発する中、ある日料理茶屋で極たち若い隊士が森の制止を振り切って殺傷事件を起こしてしまう。彰義隊上層部は若い隊士を危険視し森に解散するよう命じるが、一方若い隊士は穏健派の森に不満を感じ遂に暗殺してしまう。


こうした日々のうちにも開戦の機運は確実に高まり、5月15日の早朝ついに上野で戦いが始まり激戦が繰り広げられた。わずか一日の戦いで彰義隊が敗走する中、彰義隊に大義はないと主張した悌二郎が討死し、強硬派の極は負傷し進退窮まって自刃して果てる。明確な意思もなく彰義隊に加わった柾之助は、空腹で行き倒れ寸前に百姓に救われ、身をやつして水戸方面に逃れる。


感 想

原作は、エッセイストで漫画家の杉浦日名子が漫画雑誌「ガロ」に連載した「合葬」であり、日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した作品である。原作漫画は目を通した程度であまり記憶にはなかったが、杉浦は江戸風俗研究家としても著名であるので、幕末、中でも彰義隊の実相が忠実に描かれているだろうと期待して映画を見た。しかし残念ながら映画には彰義隊に関する掘り下げもなく、幕府と官軍との確執などの起承転結に乏しく、それほど印象に残るものではなかった。


しかし、長編映画初の小林達夫監督の新人らしい試みは随所に見られた。人物に比して異様に大きい門構えの武家屋敷は、黒沢監督の手法を取り入れているように思えるが他の画面とは不釣り合いだし、音楽に疎い私にも「あれっ?」と感じるような唐突感のある挿入歌や、映像の美しさはあるが簡素で動きの少ない漫画チックな画面、そしてクライマックスの上野戦争を砲弾の破裂音をBGMに不忍池のハスを空撮で長々と写すことで表すなど、若い監督の「挑戦」としては理解できるものの画像が単調で迫力に欠けるものだった。


彰義隊の隊士の多くは十代後半であり、映画の主人公たち、柾之助、極、悌二郎の3人もまさにその年代である。主君慶喜の恥辱を晴らそうと彰義隊に積極的に加わる極、柔和な性格で成り行きに流される柾之助、長崎で蘭学を学び開明的な考えを持つ悌二郎、この三者三様の若者たちが、本来なら平穏な青春グラフィティを謳歌するはずなのに、時代の激流に押し流されて彰義隊に加わり上野戦争に巻き込まれてゆく。明治〜昭和の戦争が突然に若者たちの人生を襲ったように、この映画は彰義隊という場を借りて、いつの時代でも自らの意志にかかわりなく運命を変える事件が起こり得ることを示しているのかもしれない。


そして映像は、時代を的確に理解して彰義隊に大義はないと主張した悌二郎が最初に戦死し、主戦派の極が自決し、柔和で環境に流されやすい柾之助が生き残こり、百姓に身をやつして水戸方面に逃れてゆくという場面で3人の若者の結末を描いている。思い過ごしかもしれないが、この場面から判断する限り、小林監督は、この映画で"時代に対して自己を主張するよりも時代に流されている方が安寧な人生が送れるよ"というメッセージを出しているようにも取れる。


しかし、これは彰義隊にまつわる史実とは全く異なるもので、誤解をあたえる。上野戦争の敗残兵の運命は決してそんな生易しいものではなかった。少数の者は北海道まで逃れて函館戦争に加わった者や維新後活躍した者もいるが、しかし大部分の者には想像を絶する困難が待ち受けていた。そのことは森まゆみが著した『彰義隊遺聞』(新潮文庫)に詳細に描かれている。


2015.10.15観賞

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