人生の余り道  (健康を楽しむ)


風邪かと思っていた声のかすれが1ヵ月半ほど続き仕事にも支障が生じるようになったので受診したところ、喉頭癌と判明した。 病状は予想外に重く、進行度4段階中の3だったが転移は認められなかった。放射線治療を受け、幸い大事に至らずに済んだ。 抗がん剤や摘出手術を受けた人に比べれば格段に体に優しい治療だったが、それは結果論であって、声を失うことや転移の心配をしながらの3ヶ月間の癌との闘いの記録である。

闘病の記

第1 声のかすれ

2003年の12月頃から声がかすれて出にくくなっていた。風邪を引いたかと思って注意していたが、熱もなく節々も痛くないのに声だけは一向によくならない。 04年2月に入ってますます声の出が悪くなり、電話で普通に話すことができなくなって仕事に支障が出るようになってきた。会社の休みを利用して病院に行くことにした。 幸いつくば市内には多くの総合病院があるので、その一つの筑波メディカルセンター病院に受診した。


メディカルには耳鼻咽喉科がないので総合科で受診することになる。担当は若い女医さん。15分ほど問診を受けた後にまず胸部のレントゲンを撮るように指示を受けた。


撮影したレントゲンのフィルムを受け取って改めて診察を受ける。説明の内容は

・ 喉の部分に異常がある。個人医院でもよいからできるだけ早く専門の耳鼻咽喉科を受診する必要がある。

・ 声帯部分は、食べ物と空気の通過をコントロールする機能を持っているので、脳からの神経はいったん肺の部分に達した後に喉に至る。 レントゲンでは胸部に異常は認められないので、声が出にくくなった原因が肺にあるとは考えにくい。

・ 喉頭部そのものに原因があるもようで、癌の可能性がある。


いったん帰宅した後、近くの個人病院のY耳鼻科医院を受診した。先生は、簡単に問診した上で内視鏡で内部を診た結果、

・ 声帯に異常がある、明らかにポリープとは異なるのでできるだけ早く大きな病院で診てもらう必要がある。

「癌ですか」との質問に対して

・ 声帯が大きく腫れている。通常のポリープでないことは確かです。

と、癌を否定はされなかった。先生と相談して筑波大学付属病院への紹介状を書いていただいた。


何時ごろから喉に異変があったのか今となっては明確なことは分からないが、喉が弱いと感じることは、これまでも度々あった。 少し大声を出すとすぐに声が出なくなってしまい、無理すれば喉に出血(血の味を感じる)することがあった。また、強い運動をして汗をかいたり、温泉やサウナで大汗をかくと、 耳の聞こえが悪くなったり声がひっくり返って出にくくなることがよくあった。自分でもすぐにわかるが、妻からも「声がおかしいよ」と言われることがあった。


第2 喉頭癌の疑い

週明けの2月16日(月)に勤めを休んで大学病院を受診した。担当はT先生。問診した後で内視鏡で視認し、写真撮影した上で説明があった。 声帯部は左右の弁が開閉することで食べ物を食道に、吸気を肺に流れるようにコントロールするなど大変繊細な機能を果たしている。診察した結果では右の声帯が腫れておりほとんど動いていない。 左の弁のみで発声している状況なので、喉頭癌を前提に検査をする必要があるとのこと。


入院前検査として、レントゲンと血液検査を受けた。結果については19日(木)に妻とともに病状説明を受けることになった。 その後空きベッドがあれば23日(月)に入院し、25日に検査のための手術をして病理診断を行うための組織片を摘出する。しかし、糖尿病で血糖値が高ければ検査手術が延期になる可能性がある。 また、ベッドが空かなければ入院は1週間ぐらい遅れる。


「癌の宣告」は生死にかかわる大きな問題だ。ところが、受診した3つの病院では、「癌を前提に」とか「通常のポリープではない」との表現ではあるが、 普通の感覚で「癌」であることを告げられた。あまりに簡単に「癌の宣告」が行われたことが意外であったが、 逆に変に隠されて「家族を呼ぶように」などと言われると疑心暗鬼に陥ってしまうので、あっさりしてこれが良かったと思う。


私自身も、ほとんどショックを受けていなかった。父も母もそして母方の祖母も直接・間接的に癌で亡くなっているので、 自分も癌の可能性があることは漠然と考えていた。とはいえ、実際に「宣告」された今の段階でもまだ現実の問題として捉えていなかったかもしれない。ただ奇異に感じたのは、 若い頃の一時期を除きタバコを吸わなかったし酒もやらないのに、病名が「喉頭癌」であることだった。


19日(木)妻とともに病状説明を受けた。内容的には16日に私が受けた内容と同じで、改めて喉頭癌を前提に検査、治療をする必要があるとのことであった。 妻には最初の段階から全てを話していたが、子供たちにも自分ではっきりと伝えることにした。その日の晩に電話をした。電話を受けた子供たちは、 まったく予期していない内容なので驚いたと思う。「大丈夫だから」と言っても癌となれば一般的には命にかかわると受け取られても仕方ない。驚かせて申し訳ないと思った。


第3 糖尿病の影響

幸い空きベッドがあったので2月23日(月)に入院できることになった。入院手続きを行った後、担当の看護師から、病室である607号室、 6階フロアーの配置、麻酔時の注意事項、トイレの使用法など入院生活に必要なことの説明を受けた。


夜、病室に代謝内科の先生(若い女医)が来て、糖尿病に関する問診と指導を受けた。 糖尿病は自分自身に原因があるからどんな注意を受けても仕方ないが、空腹時血糖値が300に近い値が出たこともあって先生の言葉は厳しく、 「これまで何をしていたのか、あんた馬鹿じゃないの」と何度も言われ、一念発起を促しての言葉だと分かっているものの気持ちの良いものではなかった。


糖尿病は40代なかばから患っており、医者にかかって飲み薬で対応していた。これほど血糖値が高いことはなく最近急激に上昇したのだが、 「甘い」といわれても仕方がない状況だ。まず合併症を確認するため早急に眼底検査を受けるよう指示された。


当面は血糖値を下げることに集中する。朝、昼、夕、就寝前の1日4回、2種類のインシュリンを組み合わせて注射し、効果を試すことになった。 効き過ぎると低血糖になって危険なので、最適な組み合わせと薬量を見つけるとのこと。血糖値は1日7回(各食事の直前、食後2時間と就寝前)測定する。 インシュリン注射は初めてであり、恐らく一生注射することになるので看護師から丁寧な指導を受けた。


担当の先生からは血糖値が高い状態での手術は予期しない事態の可能性があるので、血糖値が下がるまでは検査手術が延期になると伝えられた。 糖尿病がこんなところに影響するとは考えもしなかった。喉頭癌であることは仕方ないとして、現在の最大の関心事は、それが他に転移していないかどうかだ。 喉頭癌の治療が遅れれば遅れるほど他の臓器への転移の可能性が高くなる。なんとも歯がゆいことだ。


第4 各種検査

耳鼻咽喉科はH教授のもと2つのグループに分かれており、私を診てくれるグループは担当医のH先生のほかに4名の先生で構成されている。 毎週月・木曜日は病室でH教授の回診を受けた後、引き続き病棟診察室で診察を受ける。本来であれば入院2日目に受けるはずの検査手術が血糖値が高いため受けられないので、 代わりに内視鏡で見える範囲で肉片を摘出して検査にまわすことになった。教授から、検査結果が判明するまでの間に各種の検査をするとの説明があった。


インシュリンを打ち始めて4日目の26日(木)に代謝内科の先生から、インシュリンのコントロールは良好であり、眼底検査の結果も異常なし、 視力も良好と知らされた。また、今後とも年に1回は眼底検査を受けるよう指導があった。


28日(土)にはCT検査を、3月1日(月)には超音波検査を受けた。超音波検査には担当のH先生が立ち会う。先生は超音波画像を確認しながら 「中咽頭部に小さな何かがある」と説明してくれた。検査が終わった後も暫く確認した上で、「特に問題はないと思うが、他の検査結果を合わせて判断する」とのことだった。 夜間病室に来て「咽頭部に何かできている。明日別の検査をして確認する。」との説明があった。糖尿病の関係で検査手術が遅れると、ますます癌が進行するのではないかとか、 なぜ糖尿病を放っていたのかなどと考え込んでしまった。


翌2日(火)咽頭部造影検査を受けた。バリウムを飲んで咽頭部の状況を見る。検査終了後H先生から「状況を確認した結果では異常はないもよう」とのことだった。 咽頭部は喉頭部のように独立した器官ではなく、鼻腔や消化器と直接つながっている。特に上咽頭癌は喉頭癌と区別がしにくいといわれているので気になる。 検査手術ができていれば明確に判断ができるのに、と思うと残念だ。


3日(水)MRI検査を受ける。MRI検査は磁気を使って体の断層を撮影する検査で、いろいろな機会に見たことはあるが、実際に自分がその検査を受けるなんて嘘のようだった。


第5 喉頭癌の進行度

4日(木)T先生から、妻も同席してこれまでの検査結果に基づく病状説明があった。


○病名

・ 扁平上皮癌  転移は認められない。 T3N0(T3:癌の大きさは4段階中の3、N0:リンパ節転移なし)

・ 声帯の向かって右側に約1.5センチの腫瘍があり、発声時にも動かず機能していない。

・ 転移については、近い部分の首、リンパ部には認められない。遠隔部位の肺や骨にも認められない。ただし、 現在のところ認められないという意味で、今後も検査を要する。


○治療法

 

・ 一般的に癌に対する治療は @放射線治療 A外科手術 B化学療法 があるが、喉頭癌の場合は患部が限定されるので@とAであり、  まず放射線治療をして効果がない場合に外科手術をすることになる。癌の進行度が軽い順にT1であれば@で、T2〜3であれば@+Aになる。


・ 放射線治療では、1日当たり2G(グレイ)、週5日で4週間合計40G照射し、 治癒状況を確認して放射線治療を継続するか外科手術に移行するかを判断する。副作用について、放射線により火傷状態になることによる痛み、皮膚炎などがあると説明を受けた。 また、来週の水曜日か木曜日に治療計画を立てるとのことだった。

※細胞は70G(35回の照射)で死滅する。癌細胞とともに健康な細胞も死んでしまうので、 その段階で放射線治療が効果がないからといって外科手術に移行しても傷口がふさがらなくなってしまう。


病名が明示されたことが看護師たちに伝わったようで、これまであまり話したことのない看護師が来て話をしたり、 悩みがあれば気軽に相談するように言葉をかけてくれる。大丈夫だからと明るく対応したが、看護師たちは私がカラ元気を装っていると感じたようで、 忙しいにもかかわらず大分長い間付き合ってくれて、気遣ってくれる気持ちが伝わり、とても嬉しかった。


第6 放射線治療の準備

8日(月)H教授の診察を受ける。「外見は綺麗で、特段の変化は認められないが、声が出にくいことについて原因は不明。 今日放射線科と調整して治療計画を立てる」と説明があった。


もし放射線治療の効果が見られずに外科手術になったとしても、できるだけ声は残したい。そこで筑波大病院で研究されている陽子線治療ならば、 照射部位が局限されるので残存部分も多くなると考えて、T先生に尋ねた。先生からは「陽子線治療はあまり薦められないが、放射線治療を開始するための診察が今週中にあるので、 細部は放射線科で直接聞くように」との返事があった。


夜、就寝して間もなく、急に目の前が暗くなり、悪寒が襲い、猛烈に脂汗が出だした。吐き気もあるように感じたのでトイレに行ったが、 フラフラでパジャマがびしょ濡れになっている。低血糖症状なのだろう。ナースに伝え血糖値を測ったところ70であった。 健常者にとっては問題のない数値だが、糖尿病患者にとってはとても低い値だ。粉末のブドウ糖を食べたら間もなく落着いた。その後、 入院間に3回ほど低血糖症状があった。低血糖は、ひどいと意識を失ったり命の危険があるので気を付けなければならない。低血糖症状の体験は退院後の自己管理のためにはとても貴重な体験になった。


11日(木)放射線科を受診した。入院して3週間、漸く15日(月)から放射線治療が開始される。週5回で23回照射した後、 結果を見て照射を継続するか外科手術になるか決まる。照射に伴う副作用について説明を受けた。 治療用の『お面』を石膏で作るため型どりをする。患部を精密に照射するためには喉頭部を固定することが必要で、照射のたびにそのお面をつけることになる。


陽子線治療については、放射線治療の一種で、肝臓癌など多くの癌で有効だが喉頭癌では通常の放射線治療と効果は変わらない。 陽子線を照射した後で外科手術になった場合には、完全を期するため前後2〜3センチ余分に切除するので、結局喉頭部は全部摘出することになる。まだ実験的な治療法であり、 費用も約300万円かかるが保険も適用にならないので勧められない、とのことだった。


第7 放射線治療の開始

15日(月)第1回目の放射線治療が始まった。『お面』をつけてベッドに上向きに固定される。身体の周囲を半円を描くように器材が回転し、 その間に器材から喉の癌に向けて放射線が照射される。癌には常に放射線があたるが、回転することによって他の健全な部位に当たる時間は少なくなり、影響を抑えることができる。 1日1回の照射量2G(グレイ)、所要時間約20秒間である。


18日(木)〔放射線照射4日目〕 核医学検査室で骨シンチグラフの検査を受ける。 これは癌が骨に転移していないかを検査するもので、注射したアイソトープを含む薬剤が骨の代謝や反応が盛んなところに集まる性質を利用して、 骨腫瘍の有無を調べるものだという。通常は半日がかりの検査だそうだが、私の場合は注射しながら1時間ぐらいかけて骨の炎症を観察した。 ベッドが体に合っていない状態で検査が始まったので、頭が極端に下がったままの苦痛の1時間であった。


22日(月)〔放射線照射6日目〕 H教授の回診を受ける。「理由は明確でないが、視認できる状況と喉の機能が一致していない。 見た目にはとても綺麗なのに、発声時には声帯が全く動いていない」とのことだったが、対応方法についてはこれから検討するようだ。


散歩がてらに郵便局に出かけた。あまり声が出ないため、郵便局の職員との意思疎通がうまくいかない。 帰る途中から雨が降り出してとても寒かったのでジョギングを交えたが、気のせいか気道が狭なっているような感じで、呼吸が苦しかった。 また、声帯が完全には閉じないので下腹に力を入れても、「グ、グゥー」と喉から空気が漏れてしまい力が入らない。トイレに行ってもふんばりが利かなくなっている。


第8 転移したのかな?

23日(火)〔放射線照射7日目〕 回診時にN先生から、明日喉の内部のレントゲン写真を取るよう指示があった。 右の声帯の腫れは少し小さくなっているのに、声の出が悪くなっていることについて、「声帯の奥に何らかの原因があってそれが影響している」とのこと。 声帯だけと思っていたがもっと深いところに腫瘍があるとすれば厄介なこと。咽頭部に転移したのではないかなどと考えると心配が大きくなる。


また、この1週間、背中(左肩甲骨の内側)に若干の鈍痛を感じる。昨晩は左腕もしびれていた。普段であればこうしたことも気にはならないが、 肺の部分に癌ができていて神経を圧迫しているのではないかなどと、些細なことでも悪いほうに考えてしまう。


放射線照射10日目の26日(金)頃から照射部位に副作用の痛みを感じるようになった。照射に伴う火傷だ。 食べ物を飲み込むとき何かが引っかかるような感じがするし、水やつばを飲み込むときも痛む。


回診時に内視鏡で写真を撮った。N先生から「放射線治療の効果が出ているようで、腫れはだいぶ引いてきたのに声に改善が見られないのは、 声帯の奥にも腫瘍があるかもしれないが、表側から見ているだけではよく分からない」とのこと。 転移の可能性について質問したところ、「喉頭部は周囲が軟骨に囲まれているので、内蔵など他の臓器に比べれば一般的には転移しにくい」との説明があった。少し安心した。


4月1日(木)〔放射線照射14日目〕 新着任のT先生を交えて状況把握のため内視鏡で写真を撮った。 腫れている右側声帯のところどころに白いクマが見える。また、健全であった左半分も一部白くなっている部分があり放射線の影響が現れている。 右側の声帯の腫れはだいぶ小さくなっているが、それに続く奥の部分の腫れが引いていない。


第9 検査手術を受ける

放射線照射が20回に近くなり、今後の治療法を検討する時期になっている。内視鏡で見える部分の組織片を摘出して通常の検査手術に代えていたが、 声帯の動きが悪い原因を解明するためには本来の検査手術が必要だとの判断になった。血糖値コントロールについて代謝内科から問題がないとの判断が出れば、実施されることになった。


昨日から誤嚥があり、食事のときにむせることが2〜3回あった。注意しながらゆっくりと飲み込んでいるが、どうしても気管のほうに入ってしまう。 誤嚥はとても苦しい。M先生に伝えると、照射によって神経が鈍くなっている可能性もあるので心配しないように、との返事だった。


8日(木)〔放射線照射19日目〕放射線治療の中間評価をするためにMRI検査を受けた。夕方には妻も同席して、W助教授から、 血糖値が落着いてきたので検査手術を来週16日(金)に実施するとの病状説明があった。


質問した事項

・最近むせることが多くなったが、進行しているのではないか?

→放射線によるやけどで反応が鈍くなっているのだろう。

・左肩甲骨が痛むが、転移していることはないか?

→骨シンチ検査でも出ていない。癌は微小だと検査で分からない恐れもあるが現時点では異常は認めら

れない。 希望なら再検査をしても良い。


12日(月)〔放射線照射21日目〕 教授回診では「患部はずいぶん綺麗になっている。放射線の効果もとてもよい」との所見があった。  また、背中の痛み、左腕のしびれに関して水曜日にレントゲンなどの検査をすることになった。 14日(水)〔放射線照射23日目〕 首と肩甲骨の部分のレントゲン写真を撮った。  夕方W助教授以下チーム全員の先生方が病室に見えて「異常ない」との説明があった。


検査手術の前日には、手術について麻酔科、薬剤科、看護師、担当の先生が細部にわたり何度も説明してくれた。 喉の奥に異物を入れると「ゲェー」となる咽頭反射が起きるので、この検査では全身麻酔をする。全身麻酔については、医療事故の例もあって病院はとても慎重になっている。


16日(木)の検査手術当日は2時過ぎにストレッチャーで4階の手術室に移動した。病院でこれまでもよく見た姿だが、 自分自身がストレッチャーで運ばれるなんて他人事のように感じた。見えるのは上方だけ。手術室の大きな照明や、学生などが見学できるような大きな窓が見えた。 「麻酔を入れます」との声があり、腕から何かが入っているなと感じた後はすぐに何も分からなくなった。手術が終わった後、医師や看護師から名前を呼ばれたことは分かったが、 意識は朦朧としていた。


第10 放射線照射を継続

翌日17日の8時過ぎに点滴類が外れ歩行も通常どおりになる。1週間は会話禁止になり、赤い大きな「×」が書かれたマスクをつけて自分自身の戒めにするとともに、 周囲にも協力を求める。でも、全く話さないことは難しく、マスクをしていることも忘れてついうっかり小声で話してしまう。


19日(月)〔放射線照射26日目〕 教授回診で、「最終的には病理検査の結果を待つが、最後まで放射線で大丈夫でしょう」との話があった。 良かった。喉を切らなくてすむ。声を失わなくてすむ。いつもどおり放射線照射を受けたが、今日からはこれまでよりも更に照射部位を小さくしての照射になった。


21日(水)通常の回診を受けずに外来でレントゲン写真を撮った。組織片を採取した腫瘍の傷は良くなっている。M先生から「病理検査の結果は異常がなかった。 3箇所から組織片を採ったがすべて悪性のものは認められなかった。」「完全を期するためフルに35回照射する。ゴールデン・ウィークが挟まるので最終は5月6日になる。 その後1〜2週間は喉の火傷状況と血糖コントロールの状況を確認する」との話があった。


病理結果を妻に伝える。とても喜ぶ。進行度3と言われたときには内心は摘出手術になると覚悟していたので本当に良かった。 出にくくなった声が気のせいかよく出るようになっている。


5月10日(月) 教授回診時にH教授から、「焼けた喉も1週間あまりで回復してくるので、来週には退院できるでしょう」との話があった。 同室の他の人が痛がっている様子に比べれば、喉の焼けどもたいしたことはなく、ゆっくり噛んで少量ずつ飲み込めば我慢できないほどではない。 大安の5月20日(木)に退院できることになった。結局87日間の入院生活になる。


退院後の注意事項について、@タバコは絶対にダメ(伏流煙も不可) A大声を出さない  B唾液が出にくくなっているのでゆっくり飲み込む の3点を示された。日常生活に大した影響はないので安心だ。

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