人生の余り道 (健康を楽しむ)

入院あれこれ

第1 家族の支え

身近な親族の多くの人が癌で亡くなっているので私自身はそれほど深刻には受け取っていなかったが 、夫婦二人住まいの一方が入院して一人残されれば最悪のことも考えてしまうのも当然だろう、普段は寝つき の良い妻が私の入院以来よく眠れない、食事が進まないと言っている。外泊で帰宅すると、例え病人でも傍にいると安心するそうだ 。愛犬も同じようでとても喜んでそばを離れない。その他思いがけなく周囲の皆さんに心配かけてなんとも歯がゆい。


病状説明は保護者(妻)が同席して聞くので、検査結果やそれに基づく治療の状況も知ることができる。進度が「T3」と判明して予 想以上に進行していたので、もし摘出手術を受けたら言葉を失うことに伴う日常生活の不便や、感染症の危険などを考えると憂鬱 になったことだろう。幸いにも放射線治療の効果があって退院することができたが、治療中は随分と心配をかけてしまった。


2週目の週末から自宅外泊ができた。子供達や親類の人たちが見舞いに来てくれる。抗癌剤を使用していないので身体的な苦痛や 外見的な変化がなく、これまでと変わらない姿に皆は安心したようだ。病室では窓から最も遠いベッドなのでラジオが聞けなくて手持ち無沙汰だと話していた ところ、次男がミニディスクと英語のテキストを準備してくれた。長男夫婦も予想以上に元気な様子に安心したのか、パソコンを 持ってきてくれた。病室にはインターネットの設備はないが文章を書くことはできる。「入院日記」でもつけよう。また今評判の 「24(トエンティ・フォア)」のDVDも持って来てくれたので楽しみが一つ増えた。おかげで癌患者らしからぬ入院生活を送る ことができた。


癌治療でも最近は通院の形をとることが増えている。検査の時期が過ぎて放射線治療が開始されれば、実際の治療時間は数十秒で すむので、前後の診察や待ち時間を入れても半日で終わるだろう。私の場合も「仕事の都合」を強く主張すれば、糖尿病が落着き、 放射線治療が開始された段階で通院治療ができたかもしれないが、検査が頻繁にあったので入院の方が落着いて治療ができたと思う。 何よりも、転移の心配や身体上の変化を気軽に尋ねることができ、その都度必要な検査が受けられたので、精神的な安定につながった。


第2 勤務先は退職に

今年の6月に満60歳になるので社内規則によって定年を迎えることになるが、会社の事情で引き続き勤務することになっていた。 社長ご本人も癌を患った経験があるので、癌に対する考え方は比較的冷静で、「2ヵ月後の4月下旬には職場に復帰できるでしょう 」といって、特に人事的処置はしないで現状を維持することになっていた。


急な入院だったので業務上のことについては関係先と取り敢えずの調整と申し送りをした上で、簡単な身辺整理をした。通常の業務はこれまでもメール で業務報告・指示をしているので、入院までの数日間に自宅から必要な処置をすることにした。


約3ヶ月後の5月20日に退院したが、5月一杯は自宅療養して6月から職場に復帰したいと考え、そのように連絡したところ、規 定どおり60歳の誕生日で退職するよう人事から連絡が入った。3か月もの入院であれば継続雇用について慎重になるのだろう。 60歳を過ぎてからの再就職は難しい。入院前の状態に戻れるとの期待が大きかっただけに、予想外の展開で驚いた。やはり、癌とい う病気、3ヶ月のブランクは大きかった。


深刻ながん治療を受けたわけでもなく、体力もそれほど落ちたわけでもない。自分としては機会が あればまだ仕事をしたい、できれば社会とのつながりを持っていたいと考えていたのでハローワークに通った。どんな仕事でもやる つもりでいたが、資格を持っていないので事務系にならざるを得ない。 職員も親切に応対してくれていくつかの仕事を紹介してくれた。面接も大過なくできたと思っていたがすべてダメであった。採用条 件には「年齢不問」と書かれているが、職員にさっくばらんに聞いてみたところ実質的に制限しているとの返事だったので、就職活動 はやめることにした。


丁度タイミングよく県の職業訓練校で「家屋修繕課程」の訓練生を募集していたので応募した。子供のころ大工さんになりたいと考え ていたこともあるので良い機会だと思った。この課程は応募者が少なかったよう で幸いにも合格した。おかげで趣味の木工、家屋修繕の技術を学ぶことができた。終了後は趣味を中心にのんびりしていたところ、 約1年後に先の会社から再度誘いがあり元の仕事に復帰することになった。結局1年間の休みを貰って、趣味の木工などの技術も 勉強できた形になり幸運だった。これも癌のおかげかな?


第3 高額療養費等の制度

病院の会計窓口の最も人の集まる場所の一角に「患者様相談室」があり、ケースワーカーが入院や外来の患者のもろもろの相談を受 けてくれる。いよいよ有給休暇が終わって休業期間に入るので傷病手当金の申請や、高額の医療費の支払いなどについて助言を受け た。健康なときは関心がなく知識も少ない。こうした制度は「申請主義」であり、こちらから申請しない限り何も手当てされないの でよい勉強になった。


高額療養費

 

毎月10日ごろに前月分の入院費用の請求がある。入院費用のうち食費(日額780円)、部屋代(共同室は無料)を除く治療費 については自己負担分の上限が決められている。窓口で支払った30%の入院費のうち上限額を超える分については、社会保険事 務所に申請すれば払い戻される。


〔私の例〕

  

2月分:7日分で上限額に満たないので申請しない。

  

3月分:総医療費92万円  30%自己負担額28万円  払い戻し額18万円(払い戻しは3か月後)

      

実際の入院費10万円 

  

結局、5月20日の退院までの足掛け4ヶ月(87日分)の総費用

    

総医療費 231万円

     

自己負担額 70万円

     

払い戻し額 35万円

     

実入院費  35万円


この制度では、払い戻されるにしてもいったんは自己負担額の全額を窓口で支払う必要があり、更に、払い戻されるのは各月支払い の3ヵ月後になる。患者はこの間の費用を準備しておく必要があることが、問題点と指摘されていた。2007年4月に高額療養費 制度が改正されて、入院の場合、国民健康保険なら事前に市町村から 「限度額適用認定証」の交付を受けて医療機関に提示すれば、30%の自己負担全額を支払うことなく限度額だけを支払うのみで 済むことになった。更に、2012年4月からは外来受診の場合にも適用されるようになった。


実は後から知ったのだが、限度額は4ヶ月目からそれまでの半額になる。私の場合足掛け4ヶ月の入院期間だったので、2月も申請 しておけば4ヶ月目の5月から限度額が引き下げられるのでその分払い戻し額が増えたはずだ。「申請主義」の制度では知識不足の ため起こりがちだが、新しい制度ではこうした失敗は起きなくなる。


癌治療には高額な費用がかかるが、高額療養制度が利用できることはとてもありがたい。また、私も検討したが、陽子線治療など は300万円もの自己負担があって更に高額になるので民間医療保険の利用も望ましいが、保険会社がテレビで宣伝している「先進 医療」特約は、厚生労働省が認めた医療機関・医療技術のみが対象になるもので、その他多くの癌が対象にはなっていない。実質 0.3%程度しか該当しないので注意が必要だ。


傷病手当金

 

休業中の生活保障として健康保険から傷病手当金(俸給の6割)が支給される。請求書に必要事項を記入したうえで、会社→病院 →会社を経由して毎月社会保険事務所に提出する。在職間に手続きすれば退職後を含めて1年6ヶ月有効となる。会社の担当者も初めての例だったので、制度、手続き要領を把握するのに苦労したようで、何度かのやり取りの末漸く手続きがで きた。

障害給付制度

 

喉頭癌で声帯を摘出した場合は、2級または3級の障害認定となる。税の控除、補助具の購入、鉄道・自動車関係の控除などの 給付があり、2級の場合は医療費も免除になる。病院経由で市役所に申請する。老齢年金よりも障害年金のほうが有利で、選択制 となっている。障害年金は発病してから18ヵ月後から適用になり、窓口は社会保険事務所である。

第4 入院生活

いずれ定年退職したら自由でのんびりした生活ができると期待していたのが、入院という形で「仕事を離れる」ことが突然実現して しまった。癌となれば、抗癌剤治療や外科手術を受けて、苦しい闘病生活とベッドに寝ているだけの時間かと考えていたが、放射 線治療だけで済んだので、重い患者さんには申し訳ないが、多少の心配はあったものの特別な苦労はなくそれなりに安定した入院生 活だった。


朝の回診・診察が過ぎたら食事を除けばほとんどが安静時間である。しかし、放射線治療が開始されるまでの3週間は頻繁に検査が あったし、午後には自主トレーニングや講習会を組み入れたので、それなりのスケジュール生活ができた。これまでの生活が習い性 となって、何か予定を組まないと安心できないのだろう。それでも随分とゆったりした生活だったが、すぐに「現実」に慣れてしま い「のんびり」であると感じなくなってしまった。


院内では週に1〜2回、午後の安静時間に生活習慣病、栄養管理、糖尿病などいろいろなテーマで講習会が行われている。10回ぐ らいのシリーズなので聞き漏らしたときは次回に聞けるようになっている。講習会場の横の通路に軽い運動ができるようエアロバイ クが置かれているので、併せて体力消耗運動に活用できる。ただし、器具の品揃えはとてもお粗末でエアロバイク2台のみだったが、糖尿管理の ためだけに約1ヶ月間体験入院している人もいるので、もっとしっかりしたトレーニング・ルームがあるとよいと思った。


夜の安静時間はDVDで「24シリーズ」を見たがなかなか面白い。はらはらしながら見ているものだから興奮して血糖値があがって しまいそう。消灯時間は9時だけど、患者の皆さんカーテンをまわした中でテレビを見ている。こちらの病棟は軽い人が多いせいか 、看護師も日常の院内生活であれこれ指示することは少ない。


喉頭部の摘出手術を受けて声を失った人たちが発声法を練習している会があると聞き見学した。「声友会」と言い、毎週水曜日の午 後に病院の一室に集まって発声練習している。術後2年以上から長い人で20年クラスのベテランもいる。腹式呼吸法による食道発 声法で、練習することにより食道の部分が柔らかくなり、一種のげっぷのような空気を出して音声に変える。声の質は良くないが日常 生活に支障のない程度の会話はできており、仕事についている人もいる。更に上手になるためには東京で開かれる「銀鈴会」に参加 する人が多い。人間の身体の柔軟性や努力の成果には感心する。

  

☆公益社団法人「銀鈴会」:http://ginreikai.or.jp/contest/index.html


第5 病院の食事

朝は5時半に起床、6時の朝食までに体重・血圧・脈拍・体温を測定して記録する。最初の体重は72.9kgであった。BMIから 逆算すると理想的な体重は65Kgになる。これまでの努力では70kgを切ることができなかった。入院間は1日1600キロカロリ ーの糖尿病食になるので、どれくらい体重が減るのか楽しみだ。


入院患者にとっては食事は最大の楽しみ。しかし1600キロカロリーは少ない。朝食はパン食を指定。薄くて小さく塩味のない食 パンが3切れと小さな袋入りのジャム1つ、ドレッシングのない野菜サラダ、それに牛乳1個だけ。腹8分目にも程遠く、この年に なって卑しいことだが隣の人の茶碗いっぱいのご飯が羨ましい。昼食と夕食については、1食は質素なものだが残りの1食はステー キや天ぷらなどしっかりした食事が出る。「病院食は不味い」との先入観があったが、この「1日1食の豪華な食事」のおかげで 食事は満足できるものとなった。


しかし、結局退院時の体重は71.5kgで3ヶ月の食事制限で僅か1.4kgの減量効果でしかなかった。癌治療とはいえ抗癌剤の ような過酷な薬物治療がなかったことが大きい。また、入院前の自宅でもそれなりの食事制限をしていたので効果が限定されたし 、何よりも病院食が美味しく、自由でのんびりした毎日が送れてリラックスできたことが良かったのだろう。うれしい誤算だった。


第6 大学病院の医師の異動

年度末が迫った3月末のある日、大学の構内を散歩していたら寮に入るため筑波大学の新入生が家族とともに 引越ししている風景が見られた。構内の桜は全般的にはまだ2〜3分咲きだが、暖かいところは8分咲きのところもある。入院で社会の動きと 離れた生活をしているので世の中の動きに疎くなるが、若い人たちのこうした姿に接するととても楽しい。


付属病院の医師も公務員なので、新年度を機に大幅な異動があった。担当のグループ5名の医師のうち2名が転出し、代わりにM先 生とT先生が新しく着任した。新着任のM先生が挨拶に見えて早速回診を受けたが、回診時の対応や器材の使い方に慣れていないよ うで、「あれ、これでいいのかな」「なかなか入らないぞ」などと言いながら鼻の穴から挿入した内視鏡を操作するのでやや信頼感 に欠ける。多少分からないことがあっても言葉にせず、自信を持ったふりで操作して貰ったほうが、同じ痛いにしても安心できる。


第7 同室者の状況

6階の病棟は2つに別れており、私の入っている病棟は軽度な患者や手術前の患者が入っている。当初から重篤な人や手術後に手厚 い看護が必要な人はもう一方の630病棟に入院している。患者食堂や浴室などの施設は別なのであまり会うことはないが、たまに全摘手術 を受けた顔見知りの人に廊下で会うことがある。つい先日まで同じ病棟で一緒に食事していた人が、ある日を境に630病棟に移っ てしまい、車椅子の姿を見ると複雑な気持ちになる。


Aさんのこと(70歳代なかば)

607号室には私以外に4名の患者さんが入院している。お隣のAさんは同じく喉頭癌で、「風邪の治りが悪い」ことがきっかけで 転院してきた。入院時期は少し早いが治療内容、速度は私と同じ。とても気さくで話好きで病院内の情報もたくさん提供してくれる。ご 家族が頻繁に見舞いに見えてその都度差し入れがあり,Aさんは私にも食べるように勧める。Aさんは糖尿ではない。「カロリー制限をし ているから」と断っても納得してもらえず、ご家族の制止も効き目がない。いつも空腹の私にとって、目の前のものが食べられない のは二重の苦しみだ。


Yさんのこと(70歳ぐらい)

 

1月中旬に入院。もともとは自宅近くの病院に通院していたが、風邪の症状が一向に改善しないので3度目の転院で筑波大病院に 来た。検査の結果、左の声帯に腫瘍ができていた。Yさんの場合は早期の発見だったので放射線治療の効果があり、外科手術をしなく ても治癒する可能性があったので33回照射し、照射が終わって1週間後に退院した。軽度ですんでよかった。


Oさんのこと(60歳ぐらい)

私より約半月前に入院。前に入院していた病院で喉頭癌が判明し、自ら希望して筑波大病院に転院した。放射線治療も順調に進み5 月に入って退院することになった。仕事の調整のため数日間外泊したが、戻ってきた時に耳の後ろにしこりがあると言っていた。検 査したところ癌が転移した可能性があるとのことで退院が中止になった。結局私が先に退院したが、約半年後に亡くなったと聞いた。


Mさんのこと(50歳ぐらい)

最近よく風邪引き状態になっていたが、あごの部分にしこりがあることに気がつき自宅近くの耳鼻科を受診した。「たい したことはない」と言われたが、風邪の症状が直らないので筑波大病院を紹介してもらった。結局、頚部リンパ節に腫瘍ができてい ることが判明したが、医師から「よく見つけたね」と言われるほど見つけ難いものだそうだ。良質ではあるものの今後悪化する可能 性があるので切除することになった。入院1週間後ぐらいに手術を受けたが、手術後は630病棟に移動になった。


T君のこと(20台半ば)

T君は病室では一番若い。喉頭癌ではないが、空きベッドの関係で607号室に入院してきた。小学校のころからリュウマチを患っ ていたが、その治療薬の副作用で皮膚に潰瘍ができるようになった。感染防止のため両太腿に包帯を巻いているが、いずれ全身に及 ぶという。アレルギー緩和のためステロイドを使用しているが、症状が思わしくないので1単位から8単位に急激に上げることにな った。その副作用として、免疫力が弱くなるので感染しやすくなる、血糖値が上がる、太る、などの症状が出るとのこと。血糖値が 上がれば当然毛細血管が弱くなり、折角の治療なのに皮膚の潰瘍に悪影響を及ぼすかもしれない。とても治療が難しく、難病に指定されている。大学病院のもつ「高度な診療技術の研究」に該当 する患者ということになり、診療費は無料になっている。


第8 俳優・芸能人が相次いで癌で亡くなる。

たまたま入院中のこの時期に著名な俳優さんが相次いで癌で亡くなった。健康なときであれば恐らく「残念だなぁー」で過ぎてしま うだろうが、自分自身が先の分からない癌で入院中なのでとても印象に残った。


3月20日(土) いかりや長介さん

原発不明の頚部リンパ腺がん。状態によっては治療効果が期待できるそうだが、俳優業を優先したのかもしれない。 同じ病室の患者で頚部リンパ節の手術を受けた人もいるので、とても他人事には思えない。頚部リ ンパ節の腫れは触診で分かるようだ。もし頸部リンパ腺癌が他部位から移転した場合には、その9割が耳鼻咽喉科で扱う 領域からだそうだ。喉頭癌は転移する可能性は低いとはいえ咽頭部に近いので安心できない。


3月24日(水) 三ツ矢歌子さん

肺癌(間質性肺炎※) 長く腰痛を患い治療していたところ、肺癌が骨に転移していたことが判明。結局肺癌としては末期の 症状になっていた。とても美人で映画好きの私にとっては残念な出来事だ。

※本来柔らかい肺に線維化が起こり、肺が固く縮んでついには呼吸ができなくなる病気。 まだ解明されていない部分も多く、 特定疾患に指定されてる。発病から10 - 15年で約半数が亡くなり、肺癌を合併する。


4月1日(木) 中谷一郎さん

大腸癌→咽頭癌  「水戸黄門」で風車の弥七役を演じるなど大変渋い演技をして脇役としては欠くことのできない俳優さんで、 好きな俳優さんの1人だった。咽頭癌という同じ頚部の疾患なので他人事には思えない。


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