人生の余り道  (時の足跡)

歴史の影絵      吉村昭著     文春文庫

綿密な取材調査を実施することで知られる著者・吉村昭の代表作11篇の取材記録である。著者が作品に取り掛かるとき、どのような着想で、どのような資料をあたり、どのような人物と接触したのか、詳細に記述されている。しかし小説と史学論文は全く別物であり、史実を如何に物語に溶け込ませるかが作家の才能となる。ノンフィクションと小説の境目を垣間見たように思う。

「無人島野村長平」

著者の代表作のひとつ「漂流」をめぐるエッセーである。その中で「浦司要録」という土佐の海難事故の記録が紹介されており、元禄13年(1700):破損船数165艘、遭難人員324人、死者・不明者175人と書かれている。「漂流」のような記録に残る漂流者、つまりは生還した漂流者は極めて稀で、その陰にとても多くの遭難者があったことに驚く。

「伊号潜水艦浮上す」

昭和19年6月伊予灘で沈没した伊号第三十三潜水艦を、昭和28年に引き上げた時の詳細を、2名の生存者やサルベージ関係者、取材した記者へのインタビューで構成している。浸水せずに空気が残っていた兵員室が、乗組員の呼吸で無酸素無菌状態となり、60メートルの海底の温度が冷蔵庫のような役目を果たしたため、9年後に遺体は腐敗せずにそのままの状態で収容された。


通常このような潜水艦事故の場合、次第に薄くなる酸素で錯乱状態に陥り、ハッチに殺到して折り重なっていたり、ピストルやハンマーで攻撃し合う形跡が残るそうだ。しかし、本潜水艦では、縊死した1名以外の遺体はみなベッドで寝た状態で遺書も残されており、そこには秩序のようなものが見られたという。淡々と記す著者の筆は生々しい歴史の壮絶な実像を見せてくれる。

「ロシア軍人の墓」

日本海海戦後に漂着したロシア軍人の死体を、島根県の人々が「祖国ロシアのために死んだ勇者」として、丁重に葬った。墓の戒名は、「信士」より格の高いとされる「居士」をつけて、ロシア軍人への哀悼と敬意を示していた。これは、国籍は問わず「国に殉じた人」に対する庶民の意識を反映したもので、現在と「海の史劇」の時代との意識の差に隔世の想いを感じる。

「二宮忠八と飛行器」

ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を完成させながら、資金不足のために先を越された二宮忠八について、忠八の次男から資料提供を受け長編小説「紅の翼」を書いた。忠八は小さい頃から巧みな凧を作り町の話題を集めていた。陸軍に入営したある日、烏が滑空している翼の角度を見て揚力、推進力の原理を発見したという。しかし、軍上層部に上伸したが却下されたため民間に移った。

「小村寿太郎の椅子」

「ポーツマスの旗」執筆時の取材記であり、英会話に不得手な筆者が、日露戦争講和会議の舞台となったポーツマスに行く時の気おくれする様子や、息子や、出版社、当時の園田外相、夫人の友人など多くの人の助けを得てようやく取材が実現したことなどが赤裸々に記されている。建物の広報官に対する「夜に蚊はいるか?」「汽笛や波の音は聞こえるか?」との意外な質問に、小説の肉付けするための著者の視点が感じられて面白い。


その他「反権論者高山彦九郎」「種痘伝来記」「洋方女医楠本イネと娘高子」「越前の水戸浪士勢」「軍用機と牛馬」「キ−77第二号機(A-26)」の取材記録が書かれている。


2017.08.23 読了

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