人生の余り道  (時の足跡)

市塵(上)      藤沢周平著    講談社文庫

あらすじ

1657年生まれの新井白石は幼少より非凡な才能を発揮した。22歳からの浪人生活で辛酸をなめた後、29歳で木下順庵に入門した。37歳で順庵の推挙を受けて甲府藩主綱豊に召し抱えられたが、白石は体が弱く病気がちで、特に腸が弱く常に下痢に悩まされていた。


藩主綱豊は、第五代将軍綱吉に子供が望めなくなったため、将軍世子として名を家宣(いえのぶ)と改め江戸城西の丸に入った。聡明な家宣は、出自を気にすることなく低い身分の出である用人・間部詮房(まなべあきふさ)と白石を重く用いた。


1710年家宣が六代将軍になると、富士山の噴火、地震などの天変地異が続いた庶民の生活苦を救済すべく、まず五代将軍綱吉による「生類憐みの令」を廃止した。一方、勘定奉行・萩原重秀は、幕府の財政改善のため通貨改鋳を進めたが、庶民の生活は改善せずに重秀らが私腹を肥やすことになった。


武家諸法度の改定、更にはローマ人宣教師・シドッチの密入国問題などの問題を建て続けに処理していく内に、いつしか白石は政権の中枢で絶大な権力を発揮するようになった。


感 想

本書は、五代将軍綱吉の悪政で疲弊した幕政を立て直すために、病弱の体をおして六代将軍家宣を補佐する新井白石の姿が重い筆致で書かれている。ここでは、海坂藩の架空の物語と異なって、著者が白石という実在の人物を人間味あふれる様に描いていることに本書の魅力があると思う。


六代将軍家宣は、身分の低い詮房や白石を重用して、天下の悪法とされる「生類憐みの令」を廃止したほか、貨幣制度の立直しなど「正徳の治」と言われる善政を布いた。綱吉と吉宗の話はよく聞くが、家宣と家継はほとんど知らなかったのでとても新鮮な発見だった。


白石は、浪人暮らしの苦しい時に豪商の孫娘との縁談を断った。筆者は、この時の白石の覚悟を「自分らしくありたい。定かに見えない前途に自分を賭けたい」と表現している。これは、前途を思い悩んだ若き日の筆者自身を白石に代弁させたもので、殆ど実在の人物を描いていない筆者が白石を取り上げた理由のひとつだと思う。


つい先ごろの16年9月〜17年2月まで、NHK総合「土曜時代劇」で20回にわたり「忠臣蔵の恋・四十八人目の忠臣」が放映され、武井咲が演じる"きよ"が、忠臣蔵の浅野家家臣・礒貝十郎左衛門の恋人という設定で登場する。


忠臣蔵は将軍綱吉の時代の事件だが、番組の後半では"きよ"が家宣の側室になって家継を生み、後に月光院として詮房や白石との関わりも描かれている。本書を先に読んでいれば、このドラマもさらに興味深く見ることができたのに、ちょっと勿体なかった。

【市塵(下)を読む】

2017.05.13 読了

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