人生の余り道  (時の足跡)

漂流      吉村昭著   新潮文庫


あらすじ

天明5年(1785年)、土佐沖でシケに遭った4人の船乗りは、不気味な沈黙が支配する絶海の火山島(現在の鳥島)に漂着した。水も湧かず、耕地もない無人の島だが、驚くべき数のアホウドリが生息しており、4人はアホウドリの生食と雨水で生き延びた。アホウドリが渡り鳥であることに気づき干し肉にして貯蔵したが、偏食と運動不足で漂着後2年以内に長平を除き皆死んだ。


一人になった長平は、アホウドリのほかに海草や魚を食べ、適度の運動で体力を維持した。しかし絶望は長平を苦しめ自殺が脳裏をよぎる。衣服はぼろぼろ、髪は伸び放題、アホウドリの羽を纏った妖怪の姿に変わり果てる。潮流の関係で難破船が時折流れ着き、5年の間に大阪と薩摩の船が漂着して仲間10数人が増え、鍋釜や大工道具に加え火打石も手に入れた。


船の姿が見えないまま時が経ち、病気や自殺で3分の1が死んだ。このまま死を待つか思い悩んだ長平は、仲間を説得して島を出ることにした。難破船の木材を拾い集め、ふいごを手作りして釘を作った。3年経ち遂につぎはぎだらけのボロ船が完成、14人が島を脱出し漸く八丈島にたどり着いた。長平が土佐に帰ったのは37歳、遭難から12年4か月が経っていた。


感 想

この作品の基になったのは、漂流した人物の手記ではなく幕府(藩)の取調べ書である。長平が主人公という体裁をとりながら、あとから加わった遭難者を含め21名の様子が描かれているので、孤島に1人漂着したロビンソン・クルーソーの物語よりはるかに面白く、組織的なサバイバル・ストーリーとしての記録文学になっている。


初めに漂着した4人の中に長平がいなければ、その後に漂着した者も含め全員が生還はできなかっただろう。知恵者の長平を中心に、あとから漂着した者が役割を分担し協力し合ったことがとても印象的だ。ときに神仏にすがり、労働に生きがいを感じつつ日々それを繰り返し得たことに、人間の底力を見た気がする。「無人島に生きる十六人」に通じる「生き抜く希望」があった。


絶望して自殺する者や衰弱死する者が多い中で、長平だけは違った。栄養バランス保つため海草や魚を採り、やがて飛び去るアホウドリの干し肉を蓄え、その卵の殻を利用して雨水を貯め、羽で蓑を作り、アホウドリの首に札をかけて助けを求め、そして遂にボロだが船を造った。取り調べ記録に基づいているので書かれた多くが事実とすれば、長平の非凡さは賞賛して余りがある。すごい男だと感心した。


情報が全くないということの恐怖感、不安感!! 自分がどこにいるのか、脱出してもどちらに進むべきか解らない、もしかしたら日本から離れてしまう恐怖!あるのはただ生きたいという本能だけ。そんな時に取った長平たちの行動は「コヨリで船出時期を、おみくじで進む方向を決める」だった。その気持ちはよくわかる。人知を超える決断を迫られた時の、人の行動を暗示しているようで面白い。


2017.04.04 読了

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