人生の余り道  (時の足跡)

町工場・スーパーなものづくり   小関智弘著   筑摩書房


著者・小関智弘は1933年東京都大田区に生まれ、同区周辺の町工場で旋盤工として勤務、後に文筆家として町工場を訪ね歩き、その技術を紹介した著作が多い。ちなみに著者は「町工場」を、人を主に機械や建物を従に見る人は「まちこうば」と読み、逆に働く人を点にしかイメージできない人は「まちこうじょう」と読むという。


大田区は私が育った横浜に近く、町工場のひしめく大田区界隈は何度か足を運んだこともあり、懐かしい。先般の「ジン・ゴジラ」では、最初に上陸したところが大田区の呑川で、私が歩いたころは汚れた川だったが、現在はきれいになった川の周辺のあの町工場が、ゴジラに破壊されたのが強く印象に残っている。


最近は日本の町工場のすごさがテレビなどでもよく報道されるが、著者は早い時期からそれを取り上げていて、伝統と新技術との関係について書いている。大工場の製品を支える下請けは軽視されがちだが、実はそこにこそ最先端の技術があり、新しいアイデアや工夫の数々が生まれているという。


以下印象に残ったエピソード


・伊勢神宮が20年ごとに式年遷宮するのは、技能伝承の意味もある。神社や橋を造るには宮大工だけではなく、鍛冶屋、指物師、飾り職人と多くの技術者を必要とし、その技術を代々伝えるために20年という期間を設定した。ところが今では、技術の伝承が滞ってしまい、例えば、式年遷宮だけでも50数種8万本の昔ながらの和釘をつくる人がいなくなってしまったという。


・大企業の工場がハイテクを、町工場がローテクを担っているのではない。町工場が作る自動車や電子機器の金属部品の90%は鉄である。鉄はメッキしなければすぐに錆びて腐ってしまう。だからゴマほどに小さい部品でも鍍金(メッキ)するが、1個当たり四厘(千分の4円)ととても安い。それでも十万個に1個でも不良品があれば全部返品されてしまう。それに耐える製品を作っているのが町工場である。


・近頃の産業界には"異業種交流"という言葉が盛んに使われている。例えば、洋菓子屋さんと和菓子屋さんが、新しい商品を作ろうと知恵を絞ったので"イチゴ大福"が生まれた。世界中の電子機器のコンデンサーに使われている紙の80%が土佐の和紙作りの技術を応用し、新幹線の車体下の容器に経師屋の障子はりの技能が生かされているという。


・髪の毛の太さは百分の1ミリ。人は誰でも百分の1ミリを見分ける指を持っている。どうやってそれを証明するかというと、二人の髪の毛を1本づつ左右の手の親指と人差し指の間に挟んで回してみる。指の感触でどちらが太いかを見分けることが可能なのだ。超精密機械の最も大切な部分は今も人の手の感性と技で作っている。


・大手缶メーカーが15億円の予算で大学に依頼して、安全な缶ふたを作ろうとした。しかし、原理は知られていたが、コンピューターで計算しただけでは作れない。ところがある熟練工は、長年の経験で覚えた手の感触と勘を頼りに試行錯誤を重ねて、S字の形や切込みの位置を決めて、遂に指が切れないプルトップ缶のふたを作った。熟練工の知恵と問題解決能力がコンピューターに勝った。


・産業用ロボットが大規模に導入され、町工場の熟練工不要の時代になったと言われた。確かにロボットは果てしなく同じ作業をやってのける。しかし何も工夫しないので、人のいない工場では進歩が止まる。人間なら千回繰り返せば改良すべき点を発見し、新しい機械を作り出すアイデアが生まれる。"人づくり"と"モノづくり"は切っても切れない関係なのだ。


2017.03.28 読了

inserted by FC2 system