人生の余り道  (時の足跡)

羆        吉村昭著     新潮文庫

あらすじ

本書には、表題となった「羆」をはじめ、特異な動物に関する五編の短編が収められている。


「羆」 異様な風貌で縁遠かった銀九朗はようやく光子と結婚、丁度その頃に仕留めた母熊が連れていた子熊・権作を育てるようになった。3年が経って慣れているはずの光子が権作に惨殺された。復讐のため銀九朗は愛用の単発式村田銃を携えてひとり山に入った。その年は成果がないまま過ぎたが、恐るべき執念で熊を追い、2年目に遂に復讐を果たした。しかし銀九朗に残ったのは虚しさだけであった。


「蘭鋳」 蘭鋳にのめりこむ父と兄、兄とほとんど年の違わない義母、不義を犯して自死する兄嫁という四人の正常とは言えない男女の関係が、蘭鋳の妖艶な雰囲気にまつわるように繰り広げられる。この大人の世界が少年・清夫の純情な目線で、かすかに感じ取った気配として描かれている。


「軍鶏」 片足が不自由な四郎は、職にも就かずに軍鶏に情熱を注いだ。勝つことを目的とする軍鶏の飼育は極めて人工的で非情で、それでありながら最も優れた軍鶏には最大の愛情が注がれる。そうして育て上げた「正宗」だったが、一瞬の隙を突かれて宿敵の「黒駒」に倒されて息絶えた。


「鳩」 清司は父の執念を継いで、病的ともいえる情熱で競争鳩を飼育した。多くの鳩を淘汰して過酷な調教の末に作り出される競争鳩であっても、ひとたびレースに出れば、800キロ、1000キロの長距離レースでは、数えるほどしか帰り着かない厳しい世界。社会生活に馴染めない清司は、将来を悲観した病母の放火で家が焼け、破局に追い込まれた。


「ハタハタ」 ハタハタは北国の漁村に莫大な富をもたらすが、岸に寄って来るのは雷の轟く冬のシケの日。海が荒れたある日、貴重な網が破られそうな危険を感じて俊一の祖父と父は回収に向かったが、船が転覆して行方が分からなくなった。その直後にハタハタがやってきた。行方不明者を案じながらも村は沸き立ち、大儲けした漁師たちと犠牲者の家族との心の交錯が淡々と描かれる。


感 想

「蘭鋳」、「軍鶏」、「鳩」の三編に登場するのは、愛玩用に人が愛でながら育てる動物ではなく、何代にもわたって選別を繰り返し、優れた血統を継いだほんのわずかの優良種だけが生き残る、人工的に作られた奇異な動物たちである。これらの動物はみな不健康で、病的で、暗い雰囲気を持っている。


三作品に登場する飼育者は、まるで"奇形動物"を生み出してしまったことへの"償い"のような、人間として何かが欠けた者ばかりで、小説として読んでも楽しくない。むしろ作品のテーマは、こんな飼育のされ方をされる動物そのものにあるように思う。一般には知られていない、すごい世界があるものだ。


「羆」では、愛妻を殺した羆に対する復讐劇として興味深く読むことができた。銀九朗が権作と対峙した時、なぜ警戒心の強い権作が不用意に姿を現したのか、もしかしたら銀九朗に対する懐かしさで走り寄ってきたのではないか。もしそうだとすれば、愛した妻が戻ることはないし、復讐といってもかつて可愛がった権作を殺したのだから、銀九朗の寂寥感がより際立って感じられた。


筆者は、海難事故で漁村に流れついた遭難者やその遺体をテーマにした作品をいくつか書いている。「ハタハタ」では、そうした取材からの着想や僻地の俗習などを取り入れて、小さな貧しい漁村の暮らしの残酷さ、人が生きることの凄まじさを描き出している。ハタハタと言えば秋田県などの特産として美味しいといった程度の印象しかなかったが、これほど残酷な小説が作リ出されることに感動した。


2017.03.21 読了

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